国防長官時代のウィリアム・J・ペリー氏 photo by gettyimages
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米元国防長官が証言「北朝鮮が勝ち目のない戦争に入り込む可能性」

【特別寄稿】交渉当事者だけが知る真実
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破壊され尽くした沖縄を見たからこそ

ウィリアム・J・ペリー。クリントン政権で国防長官を務め、北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)の核査察を拒否した際、北朝鮮の先制攻撃に対応する「作戦5027」の適用を提案した責任者であり、長官辞任後も北朝鮮の核実験を抑制するための交渉に当事者として関わった人物だ。

現在スタンフォード大学で教鞭をとるペリー氏は2年前に自伝を出版しているが、北朝鮮の相次ぐ核・ミサイル実験による東アジア情勢の緊迫を憂慮した本人の強い要望により、その日本語版『核戦争の瀬戸際で』(東京堂出版)の刊行が決まった。

国防・外交の現場を離れたペリー氏が老境においてなお、東アジアの核危機に強いこだわりを見せるのは、彼自身の原初体験によるようだ。同書には次のような記述がある。

「一八歳になったばかりの一九四五年、私はアメリカ陸軍工兵隊に入隊した。工兵訓練学校で八か月間を過ごしたあと、日本占領軍に配属された。(中略)那覇港に到着したときに見た、市街の光景を忘れることはできない。今日三〇万の人口をもつこの都市が、当時は完全に破壊され尽くしていた。無傷の建物はほとんどなかった」

「沖縄の市街に入り、破壊された光景を目にしたとき、一八歳の青年が抱いていた戦争の栄光というイメージは雲散霧消した。私はそこで、その後の人生でも忘れることのない二つの教訓を得たのだった。一つは戦争には栄光が存在しない――それがもたらすのは死と破壊のみである――ということである。もう一つは、将来的に核戦争が起きれば、それは死と破壊にとどまらず、文明の終焉をもたらすということである」

核兵器による破滅の危険性をできるかぎり減らすことは、ペリー氏の人生をかけた課題であり、その原点は、大戦後に日本で彼が目にした光景にあるというのだ。

前置きが長くなったが、自伝の日本語版刊行にあたって、ペリー氏が自身の体験から深い関心を寄せる朝鮮半島の核危機について、北朝鮮との交渉経験者としての立場から見解を特別寄稿いただいた。

 

専門家の予想を上回る核開発のスピード

私が英語版の自伝を出版した2015年、アメリカは北朝鮮との新たな危機のまっただ中にいた。それは寧辺(ニョンビョン)の核施設査察をめぐる94年の危機よりずっと深刻なものだった。なぜなら、北朝鮮はすでに少量の核兵器に加え、大量の発射可能な短中距離弾道ミサイル、さらには実験中ながら長距離の大陸間弾道ミサイルを保有していたからだ。

私が国防長官として核査察拒否問題への対処に苦慮していた当時、北朝鮮はまだプルトニウムの十分な抽出にすら成功していなかった。

クリントン政権の幹部陣核査察拒否問題が起きた1994年、クリントン大統領(左端)とペリー国防長官(右奥)photo by gettyimages

しかしその後、北朝鮮は核施設を拡張し、核実験を成功させ、アメリカ本土に着弾可能なミサイルまで開発した。さらに、固体燃料を使用したミサイルの発射実験にも成功し、より効果的な運用が可能になった。

昨今、日本の経済水域に到達するミサイルを連発し、その能力を誇示していることは皆さんがご存知の通りだ。日本の政治指導者たちのなかには、北朝鮮のミサイル発射基地に対する先制攻撃の必要性を主張する者も出てくるほどで、それだけここ数年の能力向上には著しいものがある。アメリカの専門家のほとんどが予想していたスピードを上回る勢いであることは間違いない。

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