オリンピック

聴覚障がいアスリートがパラリンピックに参加しない「複雑な事情」

「デフリンピック」をご存じですか

東京オリンピック・パラリンピックまであと2年。オリンピックへの関心が高まるのはもちろんだが、パラリンピックも負けてはいない。元SMAPの稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの3人が、日本財団パラリンピックサポートセンターのスペシャルサポーターに就任するなど、障がい者アスリートへの注目度は年々、増している。

その一方で、パラリンピックに参加していない「取り残された障がい者」がいることはあまり知られていない。

パラリンピックに「デフ種目」がない理由

2017年10月1日、世界を制した女子バレーボールチームの祝勝会が東京・表参道で開かれていた。華やかだが、騒然としがちな普通のパーティーとは趣が違い、とても静かだ。盛り上がっていないから、というわけではない。

聴覚障がい者、英訳するとデフ(deaf)。2017年7月、トルコで開かれた聴覚障がい者の国際スポーツ大会「デフリンピック」で、女子バレーボールの日本代表が金メダルを獲得した。この日は、その祝勝パーティーだった。

選手たちのほぼ全員が、まったく耳が聞こえず、静かな世界で生きている。会話はもっぱら手話で、祝勝パーティーでは小さな笑い声が聞こえる程度だった。

 

「デフバレーは、まだ知らない人が多い競技なので、自分たちがメダルを獲ることで、いろんな人に知ってもらいたかった。だから金メダルを目指していました」

そう話すのは、監督の狩野美雪さん(40)。2008年の北京五輪では全日本女子に選ばれた、バレーボールのトップアスリートである(狩野さんがデフバレー監督に就任した経緯については、 https://note.mu/shoichiro_kawano/n/naf6d2d03ea44 をご覧ください)。

狩野監督が言うように、パラリンピックとデフリンピックでは、メディアの取り上げ方や認知度でも差がある。新聞では、パラリンピックはスポーツ面で扱われるが、対してデフリンピックは社会面で扱いも小さい。そもそも、デフリンピックの存在すら知らない人も多い。

そして、デフのアスリートたちがパラリンピックには「参加していない」ことも、知らない人の方が多いだろう。

パラリンピックの動きが具体化したのは、第2次世界大戦後のこと。戦争で脊髄を損傷する兵士が増えることを見越して、英国ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科が開設され、戦後の1948年のロンドン五輪に合わせて病院内で車いす患者によるアーチェリー大会が開かれたのが始まりだ。

この大会が原点となり、1960年にローマで開かれた大会が第1回パラリンピックに位置づけられた(冬季大会の第1回は76年)。1989年には国際パラリンピック委員会(パラ組織委)が正式に発足した。

もともとは脊髄損傷者の大会として始まったが、手足切断や視覚障がい、脳性麻痺といった各障がい者のスポーツ組織が次々とパラ組織委に加わることで、パラリンピックも規模を大きくしていった。

しかし、聴覚障がい者のスポーツ組織「国際ろう者スポーツ委員会」(ろう者スポーツ委)だけは、パラ組織委に参加していない。正確に言えば、パラ組織委が発足した89年には参加していたが、95年にパラ組織委から脱退している。

このため、パラリンピックにデフ種目が加わることはなく、デフ・アスリートが参加しない事態が続いている。

では、なぜ、ろう者スポーツ委はパラ組織委を脱退したのか。