政治政策 国際・外交

核兵器禁止条約に反対する日本の、70年代から変わらない「やり口」

虐殺する国を支援し続けた日本の歴史
南風島 渉 プロフィール

「侵略する国」を支え続けた日本

なぜ「日本」だったのか。

1975年のインドネシアによる軍事侵攻は、ポルトガル領からの非植民地化過程にある東ティモールへの、明らかな侵略行為だった。75〜82年にかけて国連安全保障理事会で2回、国連総会で8回の決議が行われ、東ティモールの自決権の確認と、インドネシア軍の即時撤退などが求められたことは、国際社会として当然の反応だった。

同じ年にベトナム戦争に敗戦し、東南アジアの共産化ドミノを恐れた米国が、インドネシアによる東ティモール侵略にお墨付きを与えていたことは、公文書などから歴史的事実として確認されている。その米国でさえ、安保理決議では拒否権を発動できず、また賛成72反対10の圧倒的多数で可決された1回目の総会決議では「棄権」せざるを得ないほど、インドネシアの違法性は明らかだった。

ところが、インドネシアの蛮行を非難する国際的な協調に、ひとり冷水を浴びせ続ける国があった。いわゆる「先進国」のなかで、8回の国連総会決議に最初から最後まで反対し続けた唯一の国、日本である

 

日本以外で反対票を投じ続けたのは当事国インドネシアのほか、インド、フィリピン、サウジアラビア、タイ、マレーシア。いずれも当時、民主主義が根付いていない強権的な国ばかりである。そこに、民主主義国家を自認し、かつ世界有数の経済規模を誇る日本が名を連ねたことは、インドネシアを大いに勇気づけ、同時に国際社会の失望を呼ぶことになった。

1983年以降、東ティモール問題は国連総会から人権委員会へと場を移し、深刻な人権侵害が報告されていたが、ここでの決議にさえ反対・棄権し続け、インドネシアを支えたのが、日本という国だった。

それから40年ほどを経て、当時日本と同じく反対票を投じ続けたマレーシアは、今回採択された核兵器禁止条約で共同提案国として積極的な役割を果たし、すでに署名もしている。もう一つの提案国は、憲法で常設軍を放棄した国として知られる、コスタリカ(署名済み)。同様にインドネシア(署名済み)、フィリピン(署名済み)、サウジアラビア(未署名)、タイ(批准済み)が参加している一方、核兵器保有国のインド以外で参加していないのは、日本のみとなっている。

「政府は日本の態度を見ながら我々を殺している」

経済支援を通しても、日本はインドネシアの強力な支援者であり続けた。独裁者スハルト大統領の在任30余年の間に、日本からの政府開発援助は計3兆円を超える。これは当時インドネシアが受け取った二国間援助の5割を占める。

日本国民1人あたり3万円近くが、東ティモールで虐殺を繰り広げる国に対して贈られていたことになる。欧州諸国が人権問題などを理由に制裁を科しても、日本が動かない限り、インドネシアにとって大きな影響はなかった。

背景には、石油や天然ガスなど地下資源の供給国として、経済発展が見込まれる2億人市場として、また中東からの石油輸入ルートの要衝に位置する国としてのインドネシアがあった。それを支えることこそが、当時の日本にとっての「国益」とみなされたのである。そして、ティモール島とオーストラリアに挟まれたティモール海に埋蔵される、豊富な石油と天然ガス。それらすべてが、南海の小島に暮らす70万人ほどの素朴な人々の悲鳴と、天秤にかけられたのだった。

「日本政府がこの問題について無関心な態度をとり続けるならば、それはインドネシア政府の行動を容認し、力を貸すことに他なりません。(中略)インドネシア政府は諸外国、とりわけ日本の態度をうかがいながらわたしたちを殺し続け、かつ国際的な立場を守り続けてきたのです」(1994年7月11日、抵抗運動の非武装部門指導者サバラエ)

サバラエのインタビュー。1年後に彼は処刑された。後ろで顔を隠している少年も行方不明となった。写真/南風島渉

1年後にインドネシア軍に捕まり、処刑されることになる彼のインタビューは、ビデオにも収録されて日本の国会議員のもとへ届けられた。彼らの指摘は決して、単なる思い込みでも、過大な期待でもない。しかし、日本政府の態度はまったく変わることはなかった。