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読書人の雑誌「本」 歴史 古代史

古代から天皇が持つ「権威とカリスマ」その根拠はなにか

意外に語られない「呪術的側面」
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アマテラスの子孫として

2016年8月に天皇の「お気持ち」が示されてから、法整備が進められ、2019年春には江戸時代以来の「譲位」が実現しそうである。

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皇室制度や天皇の歴史に新たな変化が加えられるのだが、それまでどのような歴史を経てきたのだろうか。読者に正しい知識を伝えることをめざし、2010年から出版された「天皇の歴史」シリーズ全10巻が、講談社学術文庫として刊行されることになった。

研究が手薄だった中世・近世の天皇・朝廷についての実証的研究が積み重ねられ、古代史でもかつては意味が無いとされてきた朝廷儀礼などの実態が明らかになったことが、この企画が可能になった背景にある。とはいえ天皇制がどのような意味をもつかは、これまで歴史学者よりも、哲学者・思想家や文化人類学者が発言してきたことも事実である。

歴史学は史料に基づかない発言はできないし、正確な史実の積み重ねの上にこそ歴史像は構築されるという自負はあるが、一方で日本史側にも反省すべき点があるかもしれない。

和辻哲郎『日本倫理思想史』(岩波書店)を繙けば、「神話伝説に現われたる倫理思想」で、日の神の宗教的権威を担う天皇のもとに国民的統一がなされ、祀られる神は同時に自ら祀る神である特色から、日本の祭祀的統一がなされた時に祭り事の統一者としての天皇の権威は承認されていたと述べられる。

また『丸山眞男講義録[第四冊]』(東京大学出版会)は、「古代王制のイデオロギー的形成」の章で「天皇の呪術的司祭者としてのカリスマ」「アマテラス(日神)カリスマ」を論じている。こうした天皇制成立の基礎に宗教的権威を考えることは、いわば常識だが、必ずしも歴史学では十分に論じられてこなかった。

 

拙著『天皇の歴史1 神話から歴史へ』では、天皇の宗教的役割に留意し、神祭りのあり方や、地方豪族の服属について、見通しを述べてみた。しかし天皇の宗教的行為や祭祀の実態については実はほとんど史料はないので、神話やのちの平安時代のあり方から復原した部分があり、考古学の成果も利用した。

天皇制の本質には、アマテラスの子孫としての太陽神信仰がある。それは奈良時代以降は伊勢神宮祭祀となるが、本来は大和の三輪山で祭られたと考えられる。そしてアマテラス自身の御魂とされ、伊勢神宮に鎮座するのが神鏡であるように、鏡が崇拝された。

三世紀に魏から卑弥呼が下賜された三角縁神獣鏡を配布することにより、全国に祭祀を広めて統一していったと考えられる(魏鏡と考えられることは、岡村秀典『鏡が語る古代史』岩波新書、参照)。

天理市柳本の黒塚古墳から33面もの三角縁神獣鏡が出土したことが研究を進展させたのだが、2017年は発掘から20年にあたり、秋に開催された「黒塚古墳のすべて」(橿考研博物館)ですべての鏡が並んださまは圧倒的だった。

「神話から歴史へ」は、記紀の神話・伝承からいかに歴史を復原するかという方法論的な書名であるが、扱った時代の王権に即するなら「ヤマトから飛鳥へ」となろうか。

狭義の地名ヤマトとは、三輪山のフモトの意味で、箸墓などの最初期の前方後円墳や纏向遺跡などが所在する。崇神・垂仁・景行天皇の宮が磯城や纏向にあったと伝えるのは、大和王権発祥の地の記憶を伝える可能性があるが、五世紀においても王権の本拠地は一貫してヤマトであった。それは三輪山信仰と深く結びついていた。

六世紀中葉以降は、大化の改新で難波に遷都されるまでのほぼ一世紀、飛鳥の周辺に宮都が置かれる。これは飛鳥南部、高市郡・今来郡などに安置された帰化人が王権の発展と深く関係したことによる。帰化人を東漢氏が組織し、それを率いて権力を得たのが蘇我氏であった。宗教的には飛鳥寺に代表される仏教が深く関係してくる。一方で飛鳥を歩いていると亀石・須弥山石・石人像など不思議な石造物が多く、謎も多いが、これらも天皇の宗教的儀礼に関わるのだろう。

柳本から纏向へは、山辺の道のハイキングコースとして整備され、崇神天皇陵や箸墓の美しい姿を目の前にして三輪山を望むと、神々しさが感じられる。一方で飛鳥もまた保存運動によって開発を禁じ、日本の原風景を残している。しかし気になるのは、飛鳥に来る人が少ないことである。

飛鳥で季刊誌『明日香風』(飛鳥保存財団)を購入するのを楽しみにしていたが、3年前に休刊になってしまった。飛鳥保存は国民的運動だったが、今後が心配である。本書を読まれた読者には是非飛鳥を訪れて古代を実感していただければと思う。

読書人「本」2018年1月号より

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