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格差・貧困 医療・健康・食 現代新書

日本を「命の格差を軽視する国」にしないために言っておきたいこと

メディアと社会への要請

NHKスペシャル取材班による「健康格差:あなたの寿命は社会が決める」が講談社現代新書から発売されて話題になっている。

健康格差とは、住んでいる地域や所得、職業により、寿命や健康的な生活習慣が異なることを言う。読者は、日本にもこれほどの健康格差があることに驚き、個人の自己責任による努力だけでは到底解決し得ないことを痛感することだろう。

昨年9月に同タイトルで報道された番組の取材班が、1回きりのテレビ放映では足りない、もっと大きく社会的な議論とすべきであるとの思いで書籍化したものだ。私もこの本の普及を応援している。

NHKスペシャルの企画の際には何度か取材を受け、番組の構成へのアドバイスや情報提供を行った。正直ここまで私たちの意図を汲んでくれたことに驚いている。というのも、これまで、メディアが取り上げる健康や格差に関する報道には少なからず不満や危険性を感じてきたからである。「健康は自己責任か」という、とっつきにくく誤解されやすい論点を、極めてわかりやすく伝え、視聴者・読者を惹きつけることに成功している。

とはいえ、それでもやはり誤解をしていると思われる意見は後を絶たず、伝えることの難しさを感じている。その多くは、「健康は自分で守って当たり前、社会をあてにするな」という意見である。また、読者の誤解を誘発する報道の仕方にも疑念を抱いている。「健康格差」の問題に対する理解を広めるためにどうするべきか、読者が陥りがちな誤解をほぐしながら、メディアの報道姿勢についても考えていきたい。

「社会をあてにするな」の誤解

ちょうどタイミングよく、こういった意見を見つけたので紹介しよう。アマゾンのカスタマーレビューに「健康は、個人の意識が最も重要だ!」という、星一つのレビューがある。

いわく、<『あなたの寿命は社会が決める』とは、大衆への迎合だ。大衆は、健康の責任を社会に転嫁したいのだ。(中略)本人が健康について責任を持つのが基本であり、国はその補助をするにすぎない。(中略)長野県は、予防医療を勧め、住民の意識を変えることで、医療費を減らす事に成功した。食生活や生活習慣などの改善は、今すぐに国民が個人で出来る事で、確実な見返りがある。>

確かに、たとえば戦後の厳しい時代からしたら考えられないほど、現在の社会保障は充実している。何をこれ以上望み甘ったれているのか!というお気持ちもわからないでもない。

しかし、例に挙がっている長野県がどん底の農村から長寿日本一になったのも、県民が一丸となって社会を変えたからである。医療機関と農民、そして行政機関がタッグを組んで衛生的で生産的なコミュニティを作ってきたのである。

つまりどこに誤解があるのかというと、おそらく「社会」を「お上」、すなわち政府や行政と狭くとらえられていることによるのだろう。しかしこれは正しておきたい。社会=政府ではない。社会とは、日本に住む私たちという集団そのもののことである。

もちろん、セーフティネットを整えることは政府の役割として極めて重要であるし、長野県が健康になれたのも、国民皆保険や生活保護制度など国の受け皿があってのことだ。雇用や教育といった、命を守るための条件づくりにも政府の役割は大きい。

たとえば、今回出版された書籍が警鐘を鳴らしているように、今や日本の子どもの貧困は先進国では最悪レベルであり、実に6人に1人が貧困である。健康格差の観点からも、子どもの貧困問題は待ったなしだ。

しかし、健康格差の問題を、「政府か」「個人か」だけにして、その他大勢のプレーヤーが傍観するようであれば、変革は起こらない。「社会」を狭く政府ととらえ、社会保障や医療制度の問題に終始してしまえば、出口の見えない議論となってしまうだろう。

誤った健康情報が命の格差を広げる

「健康」も「格差」も、非常にナイーブで、伝え方によってはとんでもない誤解や誤った知識の普及につながることになる。

例えば、「エセ医学」や効果の検証されていない健康食品の“効果”をうたう記事が後を絶たない。健康食品等を売る企業との利益相反や、WELQ事件に代表される、行き過ぎた商業主義が背景にある。「水素水」や「がんは治療するな」論など、健康不安や病の悩みにつけ込む記事や宣伝も看過できない。

犠牲になるのは、社会的なストレスにより冷静な判断が難しかったり、情報リテラシーを十分身に着ける機会に恵まれてこなかった、社会的に不利な人々である。誤った情報の拡散は健康格差を拡大する。

新生・ブルーバックス誕生!