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大相撲「暴力事件」経済学者が示す、ひとつの解決法

効率と非効率を考えると…

相撲業界を巡る矛盾

相撲は日本の伝統的な国技であり、それは神事に関わる神聖なものであるとされている。それゆえ、単なるビジネスとして相撲業界が運営されれば、日本の伝統は捨てられる可能性があり、相撲業界は存続すべき正当性を失うことになるだろう。

しかし、伝統にこだわりすぎて、国技として日本人だけで相撲業界を運営しようとすると、非効率となり、業界の存続は厳しいものになるだろう。というのも、日本の相撲人口はあまりにも少ないからである。相撲業界を存続させるには、やはりビジネスとして効率性も追求する必要性があるだろう。

このような相撲業界をめぐる矛盾する2つの側面、つまり正当性と効率性の対立が、今回の日馬富士による貴ノ岩への暴力事件をきっかけに、表面化したように思える。

それは、日本の伝統にこだわる貴乃花親方と、こだわらないモンゴル人力士グループとの対立として、ガチンコ相撲にこだわる貴乃花親方と、モンゴル人力士を容認する八角理事長との対立として顕在化したように思える。

日本の伝統を重んじる人たちにとって、モンゴル人力士グループは、日本の伝統の破壊者にみえるかもしれない。しかし、経済的にみれば、彼らの存在なくして今日の相撲業界の繁栄はなかっただろう。この意味で、彼らは相撲業界の救世主でもある。

今日、この相撲業界の問題は、一般に体質の古い閉鎖的な相撲業界固有の問題とみなされている。しかし、そうではない。人口が急速に減少している日本が、将来、多くの外国人労働者を受けれたときに直面する問題でもある。外国人は救世主なのか、文化の破壊者なのか。以下、相撲業界に発生している不条理について説明し、その解決案について考えてみたい。

 

モンゴル人力士の役割―救世主か破壊者か

日本を代表する伝統的な国技として柔道と相撲があげられる。柔道は、東京オリンピック以来、国際化し、開放政策をとってきた。その結果、競技人口は急増し、いまでは日本人選手よりも外国人選手の方が多いといった状況にある。

国際競争が激しいために、八百長など行う余地はない。このように、柔道は世界的に発展したが、本来の日本の柔道精神からはいくぶん逸脱することになった。

これに対して、相撲は基本的に鎖国政策をとってきた。しかし、国内の相撲人口は急速に減少した。今日、力士になりたいという若者はほとんどいない。親か親戚に相撲関係者がいる人たちが、かろうじて力士という職業に興味を示す程度だ。相撲業界の衰退は時間の問題であった。

こうした状況で、限定的ではあるが、外国人を受け入れることで、問題は解決されてきた。当初は、ハワイ出身力士が主に受け入れられ、彼らと日本人力士との対決は多くの人々を魅了した。貴乃花と曙の戦いはその頂点だった。しかし、その後、ハワイ出身力士のタトゥー問題もあり、この政策は限界に達した。

こうした状況で、相撲業界を救ったのはモンゴル人力士たちであり、彼らは相撲業界の救世主となった。

もともと、モンゴルにはモンゴル相撲があり、強い力士がいた。これに注目し、各部屋の親方たちがモンゴルの有望な若い力士を受け入れたのである。モンゴル人力士の数はあっという間に増え、部屋を超えてモンゴル人同士のつながりが結成され、互いに異国でのなれない生活を支えあった。

その後、モンゴル人力士は地道に育ち、今では番付上位の力士のほとんどを占めるようになった。こうした状況で、生活のみならず相撲の取り組み自体でも、相互に忖度して勝ち星を分け合っているのではないかという、噂がたちはじめることになる。

このような事態に不満をもったのが、貴乃花親方である。やはり、相撲は日本伝統の国技であり、ガチンコ勝負が基本であり、自らそのような相撲を通して横綱へと上りつめた人物である。

彼にとって、効率性を追求するモンゴル人力士に支配された現代の相撲業界は容認できないものなのだろう。モンゴル人力士たちは、日本文化の破壊者にみえるだろう。

こうした中で起こったのは、横綱日馬富士による貴ノ岩の暴力事件である。いずれもモンゴル人力士であるが、貴ノ岩は貴乃花がその才能を見込んだ弟子なのである。

この事件は、今日、貴乃花親方率いる改革派と横綱白鵬率いるモンゴル人力士グループ、そしてそれを容認する八角理事長との間の代理戦争的な側面があるとみなされている。

貴乃花親方のやり方には問題があるものの、今日、多くの人たちが貴乃花親方の目指す本来の日本伝統の相撲道に共感し、彼を支持する人は多いように思える。そして、モンゴル人力士グループとそれを容認する相撲協会理事長の八角親方にはいくぶん批判的である。