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「日航ジャンボ機墜落事故」が日本人の心に落とした影

久米宏も絶賛の小説はこうして生まれた
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『いいとも』が中断したあの日

1985年8月13日。日本の歴史上、永遠に語り継がれるであろう大事故があった翌日。

まさかこの日がこの後の自分の人生に、大きな影響を与えることになるなんて考えてもなかった。

夏休みだった。宿題もやらず、毎日家でごろごろしていた。

お昼の12時に、いつものようにフジテレビをつけると、サングラスをかけた司会者が、「友達」を紹介するトークコーナーを始めるところだった。

「えー、昨日旅客機事故がありましたが、群馬県の御巣鷹山から中継が繋がっているそうです」

司会者が記者の名前を呼ぶ。記者はマイクを片手に返事をする。いきなり現場のレポートが始まった。

そしてそのまま次の日の友達を紹介することも、空疎な笑いをとることも、カメラが新宿のスタジオアルタに戻ることもなく、その日の番組は終了した。

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墜落したジャンボ機に、親兄弟や友人が乗っていたわけでもない。けれどもブラウン管の画面から映し出される映像に釘付けになった。

なのにまったく覚えていない。ショックすぎて脳みそがフタを閉じている感じ。

これに限らず、当時の事故の様子を伝えるニュース映像がYouTubeにたくさんアップされているが、恐ろしくて見返すことはない。

アクシデント・レポート』を書くきっかけは、あのときのもやもやとした、暗い錘の思いを吐き出したかったから。

執筆期間は2011年12月23日から2012年12月8日まで。毎日机に向かった。取り憑かれていた。

 

念頭には、有吉佐和子の傑作『悪女について』と増田俊也の長編ノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』があった。時代もジャンルも異なるが、ふたつの名作に肩を並べたいという思いがあった。

シ◯ブにも手を出した。仕事の疲れを仕事で癒そうと、片手間に『タモリ論』を書いた。そっちがベストセラーになった。

結果、『アクシデント・レポート』は、400字詰め原稿用紙で1600枚を超えていた。

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