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人口が増え満足度も高い「中都市」の暮らしは、本当に幸せなのか

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伊坂幸太郎が描く「中都市のみる夢」

伊坂幸太郎の小説で、登場人物たちはしばしば都市に閉じ込められている。

たとえば『ゴールデンスランバー』(2007)で、首相殺害の容疑をかけられた主人公は警察の強引な走査網に引っかかり、都市をなかなか出ることができない。

物理的にだけではない。直木賞候補作『重力ピエロ』(2003)では、弟と父親と三人で住む街に因縁のある男が再び戻ってくる。その男とかかわることを避けるため、主人公は男を排除することを決意する。

それらを例として、伊坂幸太郎の小説で登場人物たちは物理的、または人間関係的にしばしば街に閉じ込められ、関係や記憶を折り重ねながら暮らしている。ただしそれは否定的な意味を持つだけではない。

『砂漠』(2005)では街に集まった大学生たちのじゃれるような青春が描かれ、また『ゴールデンスランバー』では似たような学生生活を送った友人や恋人とのすれ違いが主人公を助ける力になる。

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ではなぜ伊坂幸太郎の小説では街が閉じられているのか。その端的な答えは、小説がしばしば仙台という地方中都市を舞台としているからというものになる。

登場人物たちは仙台に集まり、滞留し、すれ違いつつ暮らしている。そうした設定は大都市、または地方の小都市ではむずかしいのではないか。

たとえば東京のような大都市では、過去の知り合いとのすれ違いはめったに起こらず、逆に小都市では、オンでもオフでも知り合いと否応なしに会うことから、「偶然」のすれ違いに意味は生じにくい。

 

こうした形式によって伊坂幸太郎の小説は、仙台のような中都市が孕む特有の「夢」を表現しているようにみえる。久しく合わない友人や別れた恋人にふとすれ違うという期待、または過去を知っている人が取引先にいるかもしれないという不安。

つまり出ていく人も、入ってくる人も相対的に少ない中都市特有の経験を描くことで、伊坂幸太郎の小説は、人の流入でめまぐるしく変わる大都市や、逆に友人が残ることの少ない小都市の人びとに、理想的な都市の経験を夢見させてくれるのである。

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