〔PHOTO〕iStock
社会保障・雇用・労働 AI

世界的権威も見逃している「AI社会のある重大な課題」

「AI社会」をめぐる4つの考察(後編)

⇒前編【人工知能の進化についての「紋切り型」は誰が作ったのか

⒊ 自由時間の過剰供給

ケビン・コスナー演じるベトナム帰還兵が、ミシシッピ州の貧しい家庭の寝室で、メア・ウィニンガム演じる妻となにやら口論している。

家計を支えるために涙ぐましい努力を続けてきた男だが、戦争の後遺症に悩まされ、なかなか定職に就けない苛立ちから、つい愛妻に向かって声をあげてしまう。

「まったくこの国は、フード・スタンプはくれるのに、仕事は与えてくれない」

90年代に製作されたアメリカ映画のそんな一場面を目撃する時、誰しもが、この帰還兵の境遇に即座に同情するだろう。

貧しい夫婦のやりとりを観て、フード・スタンプ――アメリカで、主に低所得者に支給される金券の一種である――を受け取って食料品と交換するのも、労働の対価として得た賃金で食べ物を買うのも、結果的には同じことなのだから、男が職に就けなくても問題はないはずだと、首をかしげる者はいない。

この単純な事象から伺えるのは、我々が、労働という行為を、単に生活に必要な金銭の獲得手段としては捉えていないことだ。

なるほど、経済学の教科書を開けば、経済活動における主要な生産要素として、資本、土地、そして労働が併記されているだろう。そして多くの場合、労働は生産要素としてその存在を充分に正当化し得るのだから、労働がなにやら別の機能を兼ね備えている可能性について、あえて考察するには及ぶまい。

だが、生産要素としての合理性を指摘するだけでは、必ずしも労働を説明しきれないという暗黙の認識が広く共有されていることは、アメリカ映画の一場面を引用するまでもなく、あらゆる所で容易に確認できる。

〔PHOTO〕iStock

例えば、ある国の民意を代弁すると主張する政治家が、「雇用の維持」を名目に保護主義的な政策を打ち出したとして、政策への賛否はともかく、それ自体に驚く者は誰一人としていまい。

市場原理に晒しておけば消滅する仕事を、税制優遇や助成金の付与といった処置を通じて人工的に維持するには、政府に金銭的な負担が生じる。それならば、わざわざ政策を作る手間などかけずに、同じ金額を、失業する労働者に支給すれば結果は同じではないかと、涼しい顔で指摘する者はいない。

日本の煙草農家であっても、アメリカの車部品工場であっても、「雇用の維持」が説かれる以上、労働者が生活に必要な金銭を確保することが趣旨なのではなく、労働に従事し続けられることが重要なのだという、決して明示されることのない了解があるからだ。

経済活動における生産要素であると同時に、労働が持つもう一つの機能とは、既に本コラムの前編で述べたように、物語の供給である。時間の経過の雄大さを、何も思考せずに、そして何の活動にも従事せずに、ただ無自覚的に傍観することに耐えられない我々は、労働という物語に参加することで、自意識を正気に保てるのだ。

労働は、従って、少なくとも二つの機能を兼ね備える。だが、人工知能にまつわる紋切り型の物語は、後者――つまり、物語の供給源としての機能――を、頑なに視界から排除したまま、もっともらしさだけを振りかざして社会に流通している。

ここに、アメリカの首都に本拠地を置く研究機関の呼びかけに応じ、円卓を囲んだ25人の男女に配布された、一つのグラフがある。

経済学者の論文から一般紙に転載されたこのグラフは、1980年代を境に、アメリカにおける「生産性」と「賃金」の相関性が低下したことを示している。「生産性」や「賃金」の詳細な定義は取り敢えず問わずにおき、社会全体における富の増加が、労働者の収入の増加に繋がりにくくなったのだと、大まかに理解しても差し支えまい。

今後、労働に代わって富を生むのが機械だとすれば、人工知能の進化に伴い、グラフに現れる乖離はますます拡大するのではないかという問いが、円卓を囲む男女に向かって、投げかけられる。

そうした中、人工知能にまつわる紋切り型の物語は、個々の職業が何年までに機械に代替されると叫び、職を失いたくなければ、ロボットには決して真似できない人間的な価値を追求せよと、脅迫してくるだろう。

だが我々は、ここで「人工知能」の問題と、「富の再分配」の問題とが、混同されていることに苛立ちを覚えずにはいられない。機械の進化によって富が加速的に増加する一方で、労働者の賃金が一向に増えないのは、機械、すなわち資本財を保有しているのが、少数の資本家であるからに過ぎない。

つまり、このグラフから即座に読み取れるのは、人工知能の脅威ではなく、富の再分配という課題である。

人工知能の進化という現象が、人類にとっていったい何を意味するのか、その根源的な問いに思考を導きたい我々は、それ自体決して容易ではないものの、多くの国で既に議論されている富の再分配という課題が、聡明な専門家によって解決された後の社会を想像したい。

現在でも一部の産油国がそうであるように、そのような社会では、労働の対価として支払われる「賃金」ではなく、労働とは断絶された再分配の仕組みによって、衣食住が保証されるだろう。人工知能の進化によって「生産性」が向上し、蓄積された富が効果的に再分配される一方で、労働は、生産要素としての価値を失うのだ。

このような社会に想像を巡らせる時、我々は初めて、「人工知能」の問題から、「富の再分配」の問題を切り離すことができる。その時視界に浮上してくるのは、決して紋切り型の物語が叫ぶ「失業」の問題ではなく、「自由時間の過剰供給」という問題に他ならない。

物語の供給源であるはずの労働を失った我々は、だからと言って何も考えず、何もしないことなどできるはずもなく、今や潤沢に供給される時間と、無防備に対峙することになるからだ。

ところで人工知能の専門家は、こうした問題に、いささかの興味も示してはいない。近年刊行されたおびただしい数の書籍の一つが、「AI界の世界的権威」と呼称する研究者、ベン・ゲーツェル氏は、インタビューで次のように述べている。

「未来においては、すべての人が働く必要はない・・・問題は、食べていくためにやりたくもないことをしなくてはいけないことだからね。もしAIがそういった問題を解決すれば、私たちは・・・一日中好きなスポーツに熱中したり、テレビを見たり、ガールフレンドやボーイフレンドと遊んだりすることができる。だから仕事がなくなること自体は悪いことではないんだ」

ベン・ゲーツェル氏〔PHOTO〕gettyimages

研究者の途方もない楽天性に目眩さえ覚える我々は、「好きなスポーツに熱中したり、テレビを見たり、ガールフレンドやボーイフレンドと遊んだり」することで、これまで労働に充ててきた膨大な時間のすべてを消費できるはずはないと確信している。

おそらく思慮深さよりは、無頓着に起因するとしか思えない研究者の言葉は、「自由時間の過剰供給」と向き合うことが、彼ら専門家の仕事ではないのだと気づかせてくれる。専門家が人工知能の研究に勤しむ間、いささかの専門知識も持たない我々素人こそが論じるべき問題が、ここで明らかになってくる。

予め流通している紋切り型の物語を復唱するのは辞めて、物語が欠如した、気の遠くなるほど膨大な時間といかに対峙するかという問題に、今こそ視線を向ける時が来ている。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら
新生・ブルーバックス誕生!