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読書人の雑誌「本」

「虐待の連鎖」から逃れられない母子を救う方法

32年間、楽しいことがなかった…
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「おまえと俺の関係は何やねん?」

夏の終わりに大阪市にある「にしなり☆こども食堂」を再訪する機会があり、ご飯を作るお手伝いをして、子どもたちと一緒にいただいてきた。

主宰者の川辺康子さんは長年にわたって逆境にある子どもと親を支援する活動を行ってきたが、一人の男の子と出会ったことがきっかけとなり、食堂を始めようと思ったという。その子は両親がともに家を出てしまい、身内ではないある女性とともに六畳一間に暮らしている。

食堂を始める時に声をかけたところ、「そもそもおまえと俺の関係は何やねん?」と拒絶されたという。川辺さんはそれでもめげずにこの少年とすでに数年にわたって関わり続け、生活のこまごました場面をサポートしている。

この小さなエピソードから分かることは、子ども、そしておそらくは両親の引き受けている傷の深さと同時に、子どものまわりにいる人たちのさまざまな支えによって、少年が地域の中で生活できて、ゆっくりと成長していっている姿である。

「なんで俺は独りなんや?」と語ることもある孤独な境涯にある少年だが、しかし川辺さん、同居している女性、見守っている小学校の先生たち、こども食堂のボランティアたちが関わる中で、ふとどこかに行ってしまったりといった小さなトラブルを日々起こしつつも生活が成り立っている。

そして、この少年の孤独の背景には、母親がおそらくは陥っている逆境がある。私は事情を知らないものの、子どもを育てることができない理由がおそらくはある。

このような子どもと親の逆境と支援に関心をもつきっかけとなったのは、こども食堂のすぐそばで行われている、虐待へと追い込まれた母親の回復のための「MY TREEペアレンツ・プログラム」に3年前から関わり始めたことだった。

まずは母親を救うところから

MY TREEに集まる母親たちは、虐待をしたという共通点を除いては年齢も経済状況も家庭環境もさまざまであるが、すべての人が自分もまた逆境の経験者であり、多くは今現在もDVや貧困といった困難な状況の中にいる。ある母親は「今まで32年間、楽しいと思ったことがなかった」と私に語った。

幼い頃の虐待は、しばしば大人になるまで誰にも語られることがなく、自分でも自分の傷に気づいていない。しかし、何かのきっかけでその傷が動き、例えば子どもへの無自覚的な暴発という形をとる。

この傷はしかし、匿名のピア(仲間)のグループで発見され、語り出すことが可能になる。傷を負った仲間とのあいだには真の共感が成立するがゆえに、自分の傷を語るだけでなく、他のメンバーの語りも、ある母親の言葉を借りると「みんなふつうに聴いて、聴いて受けとめて」ということができるようになるということなのだろう。

そして、語り出すことによって逆境を自分の人生の一部として引き受けたとき、逆境にもかかわらず「自分は自分の人生の主人公である」と、次の一歩を踏み出すことができるようになる。このとき、「ずっと独りだと思っていたが、そうではなかった」と感じるのだ。

 

半年のプログラムだけですべての問題が解決するわけではないとしても、「なんでこんなに変われたんだろう」と述懐するほどに、その後の継続的な回復のきっかけとなる大きな変化を母親たちは経験する。

そして、子どもを育てる親を支援し、親が回復することで、子どももまた回復のプロセスに乗るだろう。グループで何が起こって、どのように母親たちが変化するのかを、私は『母親の孤独から回復する―虐待のグループワーク実践に学ぶ』(講談社選書メチエ)で描いた。

子どもの頃の虐待の後遺症が残る大人が回復しうるというのは福音である。そして、母親の回復支援は、同時に子どもたちへの支援でもある。

子どもの逆境をめぐって自然発生的に作られていくさまざまな支援者のネットワークは、閉塞感が蔓延する現代においてなお、社会にオルタナティヴな見方を提示するのではないだろうか。

読書人の雑誌「本」2017年12月号より

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