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オレたち恋愛弱者の熱く哀しい涙も、きっといつの日か報われる

作家・東山彰良がコンプレックスを吐露

はじめて「モテたい」と思った瞬間

如何にモテるか――それだけをこの胸に問いつづけて、今日まで生きてきた。

はじめて女性にモテたいと思ったのは、保育園の時分である。私は5歳で、台湾から広島へ越して来たばかりだった。

日本語などひと言も喋れないのに、ぽんっと保育園に放り込まれた。残酷なガキどもは私をからかったが、私のほうでも必要とあらば拳に物を言わせた。

戸惑いと争いの日々に私を支えてくれた人、それがカオリちゃんだった。

彼女に心奪われていたのは私ひとりではない。ほとんどの有象無象が用もないのにカオリちゃんのまわりを犬のようにうろつき、分不相応な期待をしては、ほろ苦い失望を味わっていた。折に触れて私にいちゃもんをつけてきたガキ大将のあっくんでさえ、カオリちゃんがいるところでは紳士的にふるまったものである。

あの頃、私がどうしてもやってみたかったのは「~する人、この指止まれ」である。私の保育園では、この遊びはたいていあっくん主導で行われていた。

ある日、私は勇気をふりしぼって殻を破った。すると、なんの因果か、カオリちゃんが私の指に止まってくれたのである! 私は有頂天になった。世界が丸ごと手に入った気分だった。これには我らがあっくんも切歯扼腕(せっしやくわん)したが、彼の取った行動は驚くべきものだった。すなわち、子分をどっさり引き連れて私の指に止まったのである。

私たちは一丸となって遊んだ。翌日からあっくんはまた邪悪なサノバビッチに戻ったが、その瞬間だけ、地球はたしかに私を中心に回っていた。私は学んだ。俺の惨めな人生を救ってくれるのは女だけだと。

モテへの道は修羅の道

モテへの道は長く険しい。若い頃には修羅となり、畜生道に身をやつしたこともある。それで得られたものといえば、烈火のような自己嫌悪だけだったが。私は己の薄っぺらさを棚に上げて、カネがないことにすべての責任を押し付けた。薄汚いオヤジが美女をものにできるのは、たんまりカネを持っているからだ。そうやって自分を慰めてきた。

 

ところが、今やどうだ。世間の荒波にもまれ、人生の酸いも甘いも嚙み分け、いい具合に色落ちしてダメージ感も出てきた。なにより、ポケットに小銭と苛立ちしか入っていなかった昔の私はもうどこにもいない。なのに、いっこうにモテる気配がないじゃないか!

嗚呼、女のことばかり考えていたら、気づかぬうちに半世紀が経ってしまった。ここまで来る徒然にはじつに多くの辛酸を嘗めたが、無駄だったとは思わない。人生に無駄なものなど、なにひとつない。今日の私を形作っているのは、これまで積み重ねてきた山のような失敗や後悔である。物事の分かった読者諸賢なら、ひと世の成功というものは累々たる失意の上に立っていることを御存知だろう。