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不正・事件・犯罪 週刊現代

爆弾テロから部下を守れ!誇り高き「山一マン」の物語

会社のために命を賭けた社員がいた

火中の栗を拾いに行く赴任だった。だが、まさか爆弾テロに遭遇し、脱出劇を経験することになるとは――。ある山一社員の回顧から浮かび上がってくるのは、会社を救うために闘った男たちの姿だ。

もう1つの「NYテロ」

企業は、働く人々の情熱と責任感によって成り立つ側面があり、社員たちにしばしば非情な献身を求める。山一證券の場合、経営破綻した1997年に、その傾向は顕著に現れ、何人もの関係者が社業に絡んで犠牲になった。

この年の8月にトラブル処理にあたっていた顧客相談室長が刺殺され(未解決)、同年10月には株取引で損をしたという男に、山一の顧問弁護士の妻が刺殺された。

さらに、11月には山一海外店の撤収問題などを担当していた経理部課長が過労死している。

果たして、山一と経営陣は彼らの命の重みに耐えうる存在だったのだろうか。

以下に紹介するのは、アメリカ同時多発テロ事件よりも8年前に、ニューヨーク・ワールドトレードセンター(WTC)で起きた、山一證券の米子会社をめぐる決死の物語である。体を張って社員の命を守った人々がいたのである。

そんな社員たちがいる一方で、経営陣はなぜ会社を守り抜けなかったのか、元社員と家族たちはいまも問い続けている。

 

同時多発テロ事件で崩落したニューヨーク・マンハッタンのWTCが、1993年にもテロ攻撃を受けたことを覚えている人は少ない。WTCは7棟のビルを構えていたが、とりわけ目を引くのは「ツインタワー」と呼ばれる110階建ての超高層ビルである。

双子の第1ビルの頭上には、巨大なアンテナが立っていたことから、第1ビルを「アンテナがある方」、第2ビルを「ない方」と呼び分けていた。このアンテナがない方の95、96、98階に山一證券の米子会社である「山一インターナショナル(アメリカ)」があった。

41歳の梶原洋海が山一インターナショナルに赴任したのは、'93年2月6日のことである。上級副社長兼最高財務責任者という肩書を与えられていたが、JFK国際空港に降り立った梶原の表情は陰鬱だった。それには理由がある。

一つは、前任地のインドネシア・ジャカルタから来たばかりの梶原の肌に、氷点下の冷気がひどく凍みたからであり、もう一つは、この赴任が四大証券の不祥事を契機としたものだったからである。

'91年に証券会社による大口顧客への損失補填が次々と発覚した問題は、国内にとどまらず海外にも波及していた。

米証券取引委員会(SEC)が四大証券の米子会社に対し、日本の親会社を含めた損失補填などに関する詳細な資料を提出するように求めたのである。

調査の過程で無資格営業などの違反が指摘され、制裁金処分が下されると報じられていた。梶原はその責任を問われた前任者と交代する形で着任していた。

梶原が選ばれたのは、米国証券業協会CFO(最高財務責任者)資格を持っている者が他にいなかったからである。火中の栗を拾いに行くようなものだった。

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