格闘技

さらばプエルトリコの英雄、ミゲール・コット!

米リングでも人気を保ち続けた理由
(アリ<右>はスーパーウェルター級での実績は皆無とあって、今週末のファイトはコットが絶対有利と目されている)

12月2日 ニューヨーク マディソン・スクウェア・ガーデン
WBO世界スーパーウェルター級タイトル戦

王者 ミゲール・コット(プエルトリコ/37歳/41勝(33KO)5敗)

挑戦者サダム・アリ(アメリカ/29歳/25勝(14KO)1敗)
 
リスキーなファイトを逃げない姿勢
 
今週末、プエルトリコ初の4階級制覇王者が“ラストファイト”を迎える。ボクサーの引退ほど信用できないものはなく、コットも条件次第で近未来のカムバックの可能性は常に残る。ただ、例えそうだとしても、足掛け17年に及ぶコットのキャリアが最終盤を迎えていることに変わりはない。
 
2001年にプロデビューを飾ったコットはこれまで46戦を行い、そのうち23戦がプレミアケーブル局のHBOで中継された。特にマディソン・スクウェア・ガーデン(MSG)の大アリーナで合計10度もメインイベントを務めたこともあり、アメリカ東海岸での存在感は莫大。

フロイド・メイウェザー、オスカー・デラホーヤ(ともにアメリカ)、マニー・パッキャオ(フィリピン)、最近のサウル・“カネロ”・アルバレス(メキシコ)を除けば、過去10年間の米ボクシング界において、コットこそが最大級の興行価値を誇り続けた選手だった。
 
英語が母国語なわけでもないコットが、これほどの人気を集めたことを不思議に思うファンもいるかもしれない。メイウェザーのように派手な私生活をひけらかすわけではないし、通りの良いニックネームすら持たない。

パッキャオのような荒唐無稽なストーリーはないし、カネロのようにマチネーアイドル(二枚目俳優)じみたルックスも持たない。リップサービスを好まない物静かな闘士は、それでも業界内で最大級にリスペクトされた。
 

(デラホーヤ<中央>が率いるゴールデンボーイ・プロモーションズの選手としては今回が2戦目 Photo By Matt Easley - Hogan Photos/Golden Boy Promotions)

いわゆる“ショーマン”ではなかったコットが知名度を得たのは、何より、真摯に強敵と戦い続けたからだろう。メイウェザー、パッキャオ、カネロ、セルヒオ・マルチネス(アルゼンチン)、シェーン・モズリー、ポーリー・マリナッジ、ザブ・ジュダー、オースティン・トラウト(すべてアメリカ)、アントニオ・マルガリート(メキシコ)、ジョシュア・クロッティ(ガーナ)、リカルド・マヨルガ(ニカラグア)……etc。キャリアを通じて、コットが対戦したトップファイターは枚挙に暇がない。
 
ビッグファイトと呼べない試合でも、カルロス・キンタナ(プエルトリコ)、リカルド・トーレス(コロンビア)、ユーリ・フォアマン(イスラエル)、ダニエル・ギール(オーストラリア)、ランドール・ベイリー、デマーカス・コーリー(ともにアメリカ)、セサール・バサン(メキシコ)などの国際色豊かな王者クラスと次々と拳を交えていった。
 
ウェルター級王座の防衛を続けたあたりですでにドル箱としての地位を確立し、稼ぐために難敵と対戦し続ける必要はなかった。それでもキャリアの本当に最終盤まで、コットがリスキーなファイトを避けることはなかった。そんなファイティング・スピリットがゆえに、無骨なプエルトリコの雄は、ボクシング界でも最も愛される王者の1人になっていったのだろう。
 
最後の舞台は自身の“庭”

(キャリア終盤にコンビを組んだフレディ・ローチ・トレーナーとは相性の良さを感じさせた Photo By Matt Easley - Hogan Photos/Golden Boy Promotions)

付け加えると、コットの場合、いわゆる「Vulnerability(危うさ)」も魅力の1つとなっていた感がある。完璧なボクサーではなく、ディフェンスの甘さ、スタミナ不足、カット&腫れの多さといった欠点はあった。特にキャリア前半には打たれ脆さをさらけ出すシーンもしばしば。最終的に勝利は手にしても、無残な敗北と表裏一体という印象を与えるファイトも散見した。
 
2005年9月、トーレスとのダウン応酬の大激闘はいまだに語り継がれる。その後、マルガリート、パッキャオといった同世代のライバルたちにはストップ負け。特に顔面血まみれで初黒星を喫した2008年のマルガリート戦のインパクトは強烈で、コットと言えば真っ先ににこの一戦を思い浮かべる人も多い。
 
翌年1月のモズリー戦前、マルガリートがグローブの中に異物を混入させようとしていたことが発覚。コット戦でも同じ不正をした疑惑が持ち上がり、両者の因縁のストーリーは今でも語り継がれるミステリーとなっている。こんなドラマもまたコットの人気に拍車をかけた部分があったはずだ。
 
キャリア後半もコットは懸命に戦い、プエルトリカンを中心としたファンはヒーローに必死の声援を送り続けた。2010年にはヤンキースタジアムでのファイトでフォアマンにストップ勝ちし、2011年には異様な雰囲気のMSGでマルガリートにリベンジ成功。その後、メイウェザーに善戦し、マルチネスを倒して4階級制覇を達成するなど、ハイライトを生み出し続けた。
 
主にアメリカ東海岸を拠点にしたこともあり、筆者もコットが主役になった数々の劇的なシーンを昨日のことのように思い返すことができる。絶えず強敵と戦い、苦しみ、傷つきながら前に進んだという意味で、コットは“アンチ・メイウェザー”と呼び得る業界の善玉だったのだ。

(コットは本拠地と呼んでいいMSGで最後の一戦を迎える Photo By Matt Easley - Hogan Photos/Golden Boy Promotions)

そんなコットも、キャリア晩年はさすがに“Aサイド”の恩恵をためらわずに享受するようになっていった。ミドル級王者時代にはキャッチウェイトでのファイトを好み、ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)との対戦はあからさまに拒否。カネロ戦のプロモーション過程でもラテンの後輩に多くの要求を突きつけ、手を焼かせたというエピソードも残っている。亀海喜寛(帝拳)、アリという一線級とは言えない選手を相手に“最後の一稼ぎ”を目論んだ最後の2戦で、これまでになかったほどにアンチが増えた感もあった。
 
ただ、それでもコットは、そんな終わり方が許される数少ないボクサーだと言えるのではないか。これまでファンを感動させ、時に落胆させ、そして喜ばせてくれた。ほとんど“自身の庭”のようだったMSGの大アリーナを、これほど継続的に沸かせたボクサーはない。ミゲール・アンヘル・コットは、間違いなく我らの世代のスターだったのだ。
 
だからこそ、口さがないファンも、結局のところ、すべてを許容するに違いない。ヒーローに、最後の最後に花束を。今週末のアリ戦がどんな内容、結果になろうと、終了後には誰もが立ち上がり、数々の激戦に想いを馳せ、盛大な惜別のスタンディングオベーションを送るに違いあるまい。