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寿司屋の湯飲みはなぜあんなにデカいのか(理由はワンオペにあった)

なるほど、そういうこと…

なんと湯呑で手を洗うって!?

簡単なものでは、鯵、鰻、鰹、鮭、難しいものになると鱚、鰍、鮗などなど……。魚偏の漢字がびっしりと書かれた湯飲みは、誰しも一度は目にしたことがある、寿司屋の“定番”だ。

それにしても、この寿司屋の湯飲み、家で使うものや他の飲食店などと比べていささか大きく感じないだろうか。大人はともかく、子供が使うには両手じゃないと持てないほど、重厚なつくりとなっている。この理由は諸説あるが、いずれも寿司が誕生した江戸時代にまで遡る。

江戸時代後期の文政年間、江戸の地で考案されたといわれている「握り寿司」。すでに鯖寿司や鱒寿司などの「押し寿司」は主に上方で広まってはいた。一方で、江戸前、すなわち現在の東京湾で獲れる豊富な魚介類と海苔を使用した握り寿司は、手軽にサッと食べられることから、粋な食べ物としてすぐに江戸っ子たちの人気を集めていく。

ただ、この当時は店舗型の寿司屋はまだ少なく、屋台という形がほとんど。そのため、握り、お茶くみ、会計といった仕事すべてを店主一人で回すのが基本だった。実はこのために、湯飲みが大きくなったという。

 

というのも、寿司屋の店主たちはあまりの多忙ぶりに、今ならば当然出てくるおしぼりも、洗濯する手間が惜しいからと、当時は用意しなかったという。では、客は手づかみで寿司を食べた後、米粒などで汚れた手をどうしたのか。なんと店主は、食後にお茶の入った湯飲みに手を突っ込んで洗うよう、客に提案した。

一見、汚いように思えるが、仕事を少しでも減らそうと努力した彼らの画期的なアイデアだったといえる。こうして湯飲みは、手を洗いやすいように少しずつ大きくなっていき、今のような形に定着したのだ。

ちなみに、客は湯飲みで洗った手をどうしたのか、といえば、その屋台の暖簾で拭いて帰ったという。江戸っ子たちが、どこが美味しい寿司を出す繁盛店かを見極めるのに、暖簾の汚れに注目していたという話があるのも、このためだ。(栗)

『週刊現代』2017年12月9日号より