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北朝鮮 公安警察 インテリジェンス

北の工作員が日本人拉致を続々実行する契機となった「ある事件」

私が出会った北朝鮮工作員たち 第8回
核・ミサイル開発を続け、米・中との協議にも応じる姿勢を見せない北朝鮮。戦争の不安も高まるが、実は北朝鮮の脅威はすでに、私たちのすぐそばまで迫っている……。日本にも数多く潜伏している北朝鮮の工作員たち。彼らはいったい何者で、どんな活動をしているのか。公安警察や元工作員への取材を重ねてきた報道記者・作家で『スリーパー 浸透工作員の著者でもある竹内明氏が、知られざる公安警察と工作員たちの闘いに迫ります。

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公安捜査官が明かす「対北スパイ工作」の手法

公安警察の真骨頂はスパイ工作だ。

対象組織内に情報提供者を作る捜査手法は「獲得作業」と呼ばれる。スパイが発覚すれば、その人物は命の危険すらある。このため、作業は警察庁警備局警備企画課の極秘チーム「チヨダ」の指揮下で極めて慎重に行われる。

公安警察で数々の協力者を獲得したベテラン捜査員はこう語る。

「大事なのは弱点を攻撃することだ。たいていは女、金、酒だ。人情だけじゃ落ちない。男の欲望こそが弱点だ。これは万国共通。日共(日本共産党)、極左過激派、北朝鮮も同じなんだよ」

 

今回は、朝鮮総連関係者を狙った獲得作業の実例について書く。個人が特定される恐れがあるので、場所や氏名は書かない。

公安警察官X氏がJR中央線沿線の某警察署に勤務していたときのことだ。

X氏は警視庁公安部のたたき上げ。協力者獲得を得意とする男で、今回も「大物を落としてやろう」と管内の獲物を探していた。

X氏はまた、飲んだくれでもあった。管内にあるJR駅前の繁華街を飲み歩いていた。

ある晩、ふらりと立ち寄った焼き肉屋でのことだ。

X氏は仲間と、閉店間際まで韓国焼酎をだらだらと飲んでいた。

店内にいる客はX氏たちだけ。閑散とした厨房近くのテーブルで、店主が焼酎を飲み始めていた。

X氏はその後も、店に通った。必ず閉店間際まで残った。店主は毎日の習慣かのように、閉店前になると酒を飲み始めた。

X氏が店を出て張り込んでいると、店主は近くの駐車場に止めた車を運転して帰宅する。

実はこの焼き肉店の店主は、公安部の重点視察対象に指定された男だった。朝鮮総連の「それなりの役職」に就いていた在日朝鮮人だ。

どうやって落とそうか……。X氏は策を練った。

公安警察官は所轄では「警備課」に所属する。警視庁本部の公安部で訓練を受けた者は数少ない。部下を動かすには、単純な作戦が必要だった。

「おまえら制服を着て、飲酒検問の準備をしろ」

X氏は、当直の部下2人に命じた。

警備課所属の公安警察官が飲酒検問をやることなどない。検問の場所は、標的の焼き肉店から店主の自宅に向かう道に設定した。

「いいか。飲酒でひっかけたら、署に引っ張ってこい」

案の定、店主は飲酒検問に引っかかって、交通課の取調室に連れてこられた。

通常、酒気帯び運転は確実に一発免停となる。だが捜査員は切符を切らなかった。

「一日中働いて、最後に疲れを癒やすのに酒を飲みたくなる気持ちはよく分かる。私もあなたの気持ちはよく分かっている。

でも、これからは店じゃなくて、家に帰ってから飲みなさい」

捜査員は飲酒運転の危険性を懇々と説いた。

<飲酒運転は二度としません>

そんな反省文を書かせただけで、店主を帰したのだ。

「今回は、私の裁量で見逃します。このことは誰にも言っちゃ駄目ですよ」

最後に恩を売るのも忘れなかった。

「心の隙間」に入り込む

この一部始終を見ていたX氏は、数週間後、取り調べを担当した捜査員を、あの焼き肉店に行かせた。警察官としてではなく、客として入店させたのだ。

「あのときのお巡りさんじゃないですか。その節はご迷惑をおかけしました」

店主は捜査員に気づいて頭を下げた。

「このお店の経営者だったのですか」

捜査員も驚いてみせる。

店主は「お目こぼし」の礼を言い、飲食代金はいらないと言った。無論捜査員はこれを丁重に断り、冗談めかしてこういった。

「私もそれなりの危険を冒してあなたを見逃した。今後もあなたが飲酒運転をしないか、見張らなければなりませんからね」

しばらく付き合いを続けていくうちに、店主は公安警察に内部情報を提供することを約束した。

警察庁警備局の極秘チーム「チヨダ」の指導を受けながら運用する協力者=「登録玉」(トウロクダマ)になったのだ。