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週刊現代 歴史

クリスマスはいつから「恋人たちのもの」になったのか

年に一度の「無意味に浮かれてもいい日」

ダンスホールではしゃぎまくり

―キリスト教国でもない日本で、なぜこれほどまでにクリスマスという行事が受け入れられ、普及したのか。『愛と狂瀾のメリークリスマス』はその謎を500年の歴史をつぶさに振り返りながら解き明かす類を見ない労作です。クリスマスの歴史に関心を抱かれたきっかけは?

僕が幼い頃のクリスマスは「子どものためのイベント」でした。それが20代になると突如として「恋人たちのもの」へと変質して、当惑したものです。

ところがいまの大学生にきくと、クリスマスは昔から恋人同士がロマンチックに過ごす日だったと思い込んでいて、世代間のギャップに驚きました。そこで、クリスマスが日本に入ってきたところからくまなく調べようと思ったんです。

―戦国時代に日本で布教活動をしていたイエズス会士の書翰からはじまり、明治以降の新聞や雑誌の記事までクリスマスに関する記述を丹念に追っています。特に明治以降、クリスマスが日本に浸透していく過程は、発見の連続でぐいぐい引き込まれました。

例えば明治時代の前半では、クリスマスは、「外国人居留地の教会で開かれる楽しそうなお祭り」として認識されていましたが、明治の後半になると日本人自身が「ハメをはずして騒いでいい日」に変わっているんです。

転換点は1906年(明治39年)です。ちょうど、その前年に日本は日露戦争に勝利している。これを境に日本が大きく変わっていく様が当時の新聞をめくっていくとよくわかります。なにしろ新聞自体が急激に変貌している。ページ、写真、広告が飛躍的に増えていくんです。

新聞広告に初めて「サンタクロース」の文字が躍るのもこの年。それまでどこか西洋文化に対して劣等感を抱いていた日本人が、戦勝によって自信をつけて浮かれだした象徴がクリスマスの浸透なのです。

こういう「時代の境目」を発見できるのは楽しいですね。もちろん、言った者勝ちみたいなところもあるけれど(笑)。

―意外だったのは、昭和初期のクリスマスの浮かれ具合が現代の比ではなかったこと。大人たちがカフェーやダンスホールではしゃぎまくっていたそうですね。

満州事変の勃発や国際連盟脱退くらいじゃあ、「クリスマス気分に浸りたい」という当時の人たちの欲求は抑えられなかったんです。

それに、12月25日は大正天皇が亡くなった日で、昭和初期までは「大正天皇祭」という休日になっていて騒ぐのにはもってこいだった。もちろん、日本を取り巻く国際情勢が激変していくことへの漠然とした不安の裏返しという側面もあり、クリスマスはまさに狂瀾の様相を呈していくのです。

ただそれを意外と思うのも、われわれ戦後生まれの人間が抱いている「戦前」のステレオタイプなイメージが極端すぎるからです。僕らはつい、日本が降伏した昭和20年より前を「暗くて抑圧された時代」と捉えてしまいがちだけど、当時の人々は、想像以上に明るく、賑やかに暮らしていたんですよ。

キリストも八百万の神のひとり

―ぐっと時代を下って、'83年も「日本クリスマス史」における大きな転換点だったと指摘されています。この年、女性ファッション誌『アンアン』が「今夜こそ彼のハートをつかまえる!」と大々的に提唱していて、この時期を境に「クリスマスは恋人のためのもの」という空気が急激に日本中を覆うようになったと。

『アンアン』はそのころの女の子の感覚を察知して、クリスマスの過ごし方をオシャレに提示したわけです。だから、若い娘たちに猛烈に支持された。一方、『ポパイ』や『ホットドッグ・プレス』といった男性トレンド誌が「クリスマスは恋人と過ごすもの」という感覚に追いつくのはようやく'87年になってから。

これは、女の子の「彼氏とロマンチックなクリスマスを過ごしたい」という欲望を、当時の男子がなかなか察知できなかったことの表れです。

 

つい先日、僕より3つくらい年下のテレビ局で働く友人と話していたら、「'85年のクリスマスイブに彼女と食事をしようと思ったらレストランはどこもいっぱいで仕方なく居酒屋に入って、彼女にメチャクチャ叱られた」と苦笑いしていた(笑)。男の子の感覚はそんなものだったんです。

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