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「男でも女でもない」私が抱いている「差別意識」について

性別の隙間から見えた世界【12】

男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。

そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について描いていきます。今回は「差別」について大いに語ります。

バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/shimpeisuzuki

私は差別している。自覚は、まだない。

もう十何年も前に新聞の投稿欄に載っていた言葉が、今も心に焼き付いて離れない。投稿した人は恩師から受け取った言葉だと記していたような気がする。

「私には ないと思うな 差別の目」

批判的ではなく、主張的でもなく、自分に向けた言葉を人にも見える場所にポンと置いただけの言葉だった。

それまでも、それからも、もちろん、いや、おそらくと表現する方が適切な気がする。

私は意識的に誰かを差別しようと思いながら生きてはいない。けれども意識していない部分では、その意図が差別ではないとしても、結果として何らかの差別をきっとしているのだと思う。

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友人からの問い

もう二ヵ月も前になる。

フジテレビの「保毛尾田保毛男」問題が世間を賑わせた。

正直なところ私には「知っている」という以外にこのキャラクターに対する印象はない。印象がないから、悪い記憶も良い記憶もない。

少なくとも子どもの頃の私は今の私になることを全く想定していなかったから、いわゆる当事者感覚として何かを不快に思ったり何かに怯えたりしてはいなかった。そう考えれば記憶に残らない程度の日々として、もしかしたら私もこのキャラクターを小馬鹿にしながら笑っていたのかもしれない。

この件に関して、親しい友人の幾人かは私に同じことを聞いた。

「これって本当に問題になっているの?」

私の友人である。共通の友達の中にもLGBTに含まれる人は一人や二人ではない。もしも立場を表明することになるのなら、決して活動的なアライ(性的マイノリティを理解・支援する考え方の人々の総称)ではないにしても、日常に暮らすアライではあり、少なくともセクシャルマイノリティに対する差別や偏見はないと言っても間違いはない人たちである。

私は当日の記念番組を観ていなかった。それに今やプライベートも職場も含めて、セクシャルマイノリティであるがゆえに私をバカにしようと考える人も私の周囲には一人もいない。だから友人も疑問に思ったのかもしれない。

 

「本当に傷ついている人っているの?」

そして事実、この件は私にとって無害だった。騒ぎ立てることもない話だと言い切ってしまうことだってできたと思う。けれども、心の痛みに共通性を持つ仲間たちが発するSNSでの声を知る程に、私には簡単に答えることもできなかった。

「個人的には自分のアイデンティティをゲイに持っていないから、正直なところ私は何も思わないけど、声を上げている人の気持ちがわからないわけではないから、少なくともこういう声が上がるようになったことは、とても良いことだと思う」

友人は素直に「そっか」と言い、納得して話を終えた。

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