アメリカ

アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」の正体

富裕層でも貧困層でもない。しかし…
池田 純一 プロフィール

もちろん、その関係は、貴族の没落という歴史の流れ――実際ドラマの中では、経済的事情から屋敷を手放さなければならなくなった貴族が、高価な家財道具一式を競売にかける場面も描かれる――の中で「旧弊」として、若い世代から疎まれるものでもあるのだが、しかし、その「共生関係」は容易には消えない。

貴族には貴族の文化、平民には平民の文化があり、それぞれが人生を歩むための指針や倫理としてしぶとく機能し続ける。

そのため、その文化構造そのものが崩れていくことを主人も執事長もともに危惧している。当然、ノスタルジアさえ生じてしまう。

このように多くのエピソードは、貴族社会と平民社会の文化の違いから生じる悲喜劇からなり、そこには、貴族への信頼、ジェントリ(成り上がり)への嫌悪、平民上昇への期待、といった意識が描かれている。

ここには、複数の階級的思惑が不思議なアマルガムを形成していた20世紀初頭のイギリス社会があり、それはたとえばカズオ・イシグロの『日の名残り』において、語り手である執事一筋の人生を生きたスティーブンスが懐かしむものでもあった。

日の名残り

面白いのは、こうした『ダウントン・アビー』の世界が、今のアメリカ社会の一種の隠喩になっているように思えるところだ。

特に、先祖伝来の貴族は信頼するが、企業人や弁護士・医者などの専門家たち(ジェントリ)を成り上がりものとして嫌悪する感情は、ウィリアムズが論じた現代アメリカのホワイト・ワーキング・クラスにも見られる特徴、すなわち、すでに十分誰もが了解する成功者は信頼し、しばしば尊敬さえするが、しかし、ただの知的専門職従事者に対してはひどく煙たがるといった特徴と、全く並行的ではないだろうか。

だとすれば、『ダウントン・アビー』がヒットした秘密とは、自分たちが生活する現代のアメリカ社会を、20世紀初頭のイギリス社会におけるような秩序ある「階級的社会」として幻視したい、という人びとの願望を叶えたところにあったのではないか。

PBSという教養志向の放送局で放送されたことを踏まえれば、その視聴者がいわゆる「かくれトランプ支持層」を形成していたのではないかと勘ぐりたくもなってくる。

 

記憶の時代

ここでカズオ・イシグロの小説に戻ってみよう。

前回も最後に触れたことだが、彼がノーベル賞を授与された背景には、今日の西洋社会において、記憶を巡る問題が現実社会のあり方に深く影響を与えていることが配慮されていたと考えられる。

ここまで見てきたようなホワイト・ワーキング・クラスの実態を踏まえると、イシグロ作品は現代のポピュリズムが生じる世界における、一種の解毒剤、中和剤、目を覚ます薬の役割を果たしているように思える。彼の作品の効用は、『ダウントン・アビー』のアメリカにおける広い受容の結果が示唆している。

実際、イシグロは、現代の小説家の役割として、「感情を物語に載せて運ぶ」ことで、「情報」ではなく「感情」を提供することを挙げている。

彼は、単に頭で情報として事実を知るだけでは十分ではなく、「感情に」おいて知ることも大事であると捉えている。そのために、感情を立ち上げ、共有するための装置として文学があると考える。

そして、ノスタルジアの原点である「記憶」を形作る上で「物語」を綴ることの意義を自覚している。

その点で、イシグロ作品は歴史に対して両義的であり、『日の名残り』では、ノスタルジアの中に立ち上がる幻想を断ち切るという展開を示すことで、記憶に依拠することの功罪を示すとともに、それが(老いた)個人に与える悲哀を描き、涙を誘った。

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