アメリカ

アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」の正体

富裕層でも貧困層でもない。しかし…
池田 純一 プロフィール
このエントリーをはてなブックマークに追加

ウィリアムズによれば、白人の場合(特に南部の白人の場合)、19世紀半ばの南北戦争時に、主には徴兵の都合から、下層白人であっても黒人よりはマシ、という「白人のプライド」を植え付けられたことが一つのきっかけになり、アメリカの白人の間では、貧困が構造的に生じることが理解できなくなったという。

この点が、同じワーキング・クラスでも黒人と白人の間で行動に違いが生じる理由であり、黒人の場合は、貧困層に対しても相互扶助の眼差しで捉えるのに対し、白人の場合は、怠け者として非寛容的な姿勢で臨んでしまう。

つまり、ホワイト・ワーキング・クラスは貧困層と自分たちを明確に区別しようとし、その結果、貧困層の救済に予算を振り分けるリベラルな政策にすら反対を表明してしまう。そのような政策の多くは彼らにとってもしばしば意味があったとしても、だ。

こうした意識はもっと単純化されて「大きな政府は悪い」というところまで行き着く。

ともあれ、こうしたホワイト・ワーキング・クラス特有の文化政治状況をきちんと理解した者こそが、今後のアメリカ政治で現実的な影響力をもつことができる。

しばしば、ホワイト・ワーキング・クラスに対しては、従来のアイデンティティ・ポリティクスの枠組みから、やがては訪れる白人のマイノリティ化への不安という理由で説明されるわけだが、ウィリアムズによれば、そのような未来に対する集団としての懸念ではなく、一人ひとりが今まさに実感しているクラス(階層)の違いを反映した不安に根ざしている。

そもそも、ワーキング・クラスは、エリートと違って未来のことまで考える余裕がない。あくまでも判断基準は「今」なのである。

それゆえウィリアムズは、大なり小なり背景となる帰属集団の影が見えるアイデンティティ・ポリティクスの枠組みではなく、明確に「クラス(階級)」、それも文化資本に根ざしたクラスとして議論する枠組みを早急に用意しなくてはならないと強調している。

 

階級社会への郷愁!?

このように、現在のアメリカ社会を理解するためには、代々継承する文化的差異から生じた「クラス」という視点が必要とされるのだが、そこで思い出されるのが、数年前にアメリカでブームとなった『ダウントン・アビー』というイギリス製作のドラマだ。

20世紀初頭のイギリスで、近代化の歴史の流れの中で没落していく貴族社会を扱ったこのドラマは、舞台がイギリスであるにもかかわらず、そして放送されたのが公共放送のPBSであるにもかかわらず、異例の大ヒットをアメリカで記録した。

ダウントン・アビー

物語は、ダウントン・アビーと呼ばれる貴族の邸宅を舞台にして繰り広げられる。つまり、屋敷の持ち主である貴族の一族と、執事をはじめとする屋敷勤めの従者たちが物語の中心人物だ。

従者たちの作業所が屋敷の下層にあり、貴族たちが客人を迎える場が上層にあるため、執事たちは「階下(ダウンステアーズ)」、貴族たちは「階上(アップステアーズ)」と呼ばれ、「階級」の違いが、文字通り「階層」の違いで暗示されていた。

20世紀初頭のイギリスといえば、ヴィクトリア女王が築いた大英帝国に陰りが見え始めた頃であり、実際、物語は1912年のタイタニック号沈没の報が伝えられるところから始まる。

シリーズが進むに連れ、第一次世界大戦、インド植民地、ロシア革命、労働党の台頭、女性の社会進出、株式資本主義の普及、アイルランド独立問題、革命で祖国を追われた亡命ロシア貴族、等々、時代を画した事件が次々と関わってくる、一種の大河ドラマだ。

そんな中でこのドラマが興味深いのは、貴族と平民という具合に階層(クラス)は違えども、屋敷の主人たる貴族と屋敷の運営に携わる執事長の間に、長年の相互信頼からなる共生関係が築かれていることだ。その関係の維持には、双方ともに一種の誇りさえ感じている。

記事をツイート 記事をシェア 記事をブックマーク