Photo by GettyImages
+α文庫

主力は「下士官兵」の零戦部隊が、なぜ世界と戦えたのか

大空を生きた青年たちの証言

1940年の採用当時、世界最高の能力を備え、無敵を誇った日本海軍の名戦闘機「零戦」。その栄光と悲劇を、神立尚紀氏は1995年から20年間、取材しつづけてきた。それは「残された時間」との闘いでもあった。高齢化する元搭乗員たちの貴重な証言から著作を紡ぎあげたその軌跡を、『証言 零戦 真珠湾攻撃、激戦地ラバウル、そして特攻の真実』を上梓した神立氏が語る。

トランプとRemember PearlHarbor

平成29(2017)年11月5日にはじめて来日し、安倍首相とともに日米関係の蜜月ぶりをアピールしたアメリカのトランプ大統領は、来日に先立ってハワイで米太平洋艦隊司令部を視察、続いて、昭和16(1941)年12月8日(日本時間)の日本海軍機動部隊による真珠湾攻撃で撃沈された戦艦「アリゾナ」の乗組員を追悼するアリゾナ記念館を訪問、戦没者を追悼した。

トランプ大統領はさらに、11月4日、ツイッターに

Thank you to our GREAT Military/Veterans and @PacificCommand.

Remember #PearlHarbor. Remember the @USSArizona!

A day I’ll never forget.

2017/11/04 16:08

(私たちの偉大な軍人、退役軍人と太平洋軍に感謝します。

真珠湾を忘れるな。アリゾナを忘れるな!

この日を私はけっして忘れない。

2017年11月4日 16時8分)

と投稿している。

太平洋戦争の終結から72年、真珠湾攻撃から76年もの歳月が経ち、いまや、日本とアメリカは無二の同盟国となった。「あの戦争」についても、これまで、さまざまな形で和解と相互理解のための交流が続けられてきた。

平成28(2016)年5月27日、オバマ大統領が広島を訪問したことは記憶に新しいが、十数年前までは毎年のように、真珠湾作戦に参加した日本海軍の元搭乗員が慰霊式典やシンポジウムに出席し、米軍の退役軍人らと抱き合って互いを赦し合ってきた歴史がある。

Photo by GettyImages

真珠湾攻撃に参加した日本側の搭乗員は、ことごとく「対空砲火のあまりの反撃の早さに、アメリカは、すでに開戦準備を整えていたとしか思えない」と証言する。そんな疑念も肚に収めた上での和解の積み重ねであったはずだ。

トランプ大統領の“Remember PearlHarbor.”のつぶやきの真意は伝わってこないが、かつて真珠湾攻撃を非難し米国世論を一つにまとめた、当時のルーズベルト大統領演説の一節であるこの言葉が、いまもアメリカ大統領から、世界中に発信される形で出てくるという事実は、「あの戦争」の根深さと、「真珠湾攻撃」がアメリカにとっていかに忘れられない出来事であるかを物語っていると思う。

 

零戦の誕生

真珠湾攻撃に参加した海軍機は、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の六隻の空母を発艦した零式艦上戦闘機(零戦)七十八機、九九式艦上爆撃機(九九艦爆、急降下爆撃)百二十九機、九七式艦上攻撃機(九七艦攻、雷撃、水平爆撃)百四十三機の合計三百五十機。

なかでも、太平洋戦争の全期間を通して日本海軍の主力戦闘機として戦い続けたのが、零戦だった。

Photo By GettyImages

零戦の開発は、いまから80年前の昭和12(1937)年5月、原型である「十二試艦上戦闘機(十二試艦戦)」の計画要求書案が、海軍から三菱重工、中島航空機の両社に示されたことから始まった。両社が計画要求書案を検討中に支那事変(日中戦争)がはじまり、さらに要望が追加されて、当時の技術水準では不可能とも思える高度な計画要求になった。

従来の九六式艦上戦闘機(九六戦)の武装は七・七ミリ固定機銃が二挺のみ。だが、その軽快な旋回性能には定評がある。十二試艦戦では、その九六戦と同等の空戦性能を維持しながら、さらなるスピードと、戦闘機では世界初となる二十ミリ機銃二挺を加えた重武装、さらに九六戦の約二倍におよぶ航続力が要求された。

旋回性能と高速性能だけをとっても、翼面荷重(主翼の一平方メートルあたりの機体重量)を小さくすれば小回りは利かせられるが、スピードを高くするには翼面荷重が大きい方が有利になるなど、相反する要素が含まれていて、これらすべてを同時に満足させることはきわめて困難なことであったのだ。

この過酷な要求性能に中島は試作を辞退、堀越二郎技師を主務者とする三菱の技術陣が総力を挙げ、創意工夫を凝らして設計し、海軍の要求を超える高性能を実現したのが、十二試艦上戦闘機、のちの零戦である。