メディア・マスコミ 経済・財政 エンタメ ライフ

『漫画 君たちはどう生きるか』誕生を支えた、もう一人の男

無名の漫画家が、なぜこの本を…?
羽賀 翔一 プロフィール

戦前だと本当は坊主頭

漫画にする上でもうひとつ大切にしたのは、読者の方に「おじさん」に親近感を持ってもらうことでした。

小説の中と同じように、漫画でもコペル君の学生生活でのエピソードの合間に「おじさんノート」が入ってきます。でも、漫画のあとに手紙文が入ると、どうしても読者の方にとっては読みにくくなってしまいます。だからおじさんに親近感を持ってもらって、「おじさんからの言葉を読みたい」と思ってもらえるように考えました。

おじさんとコペル君の関係を「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクとマーティみたいにしよう」といったのは柿内さんです。要は、どちらが上という関係ではなく、バディのような関係、ということです。

例えば、コペル君が、浦川君が貧しい家で頑張っているのに刺激を受けて、勢いよくぐんぐん歩くシーンがあります。原作ではコペル君が一人であるいていきますが、漫画ではおじさんも一緒に歩きました。それによって二人の近い距離感と関係性とを表したかったんです。

©羽賀翔一/吉野源三郎『漫画 君たちはどう生きるか』マガジンハウス

ビジュアルもかなり考えました。実は1937年にこんなコペル君のような髪のやつはいません。戦争の影があって、みんな坊主頭でしたから。でも、僕にとってコペル君にはこの髪型のほうがしっくりきたんです。その方が生き生きと描くことができると思った。ですから時代考証よりもその感覚を優先しました。

 

デビューしてからの下積み時代

そもそも僕は、小さいころ、4つ上の従兄の影響で絵を描き始めて、それからずっと絵を描くことが好きでした。でも模写ばかりで自分のオリジナルを描くことができない。漫画家になる夢はもっていたけど、とてもなれないと思っていました。

大学は一浪して文学部に進みました。浪人生のころから村上春樹さんを筆頭にいろんな本を読むようになって、いままで言葉にできないでいた自分の思いや考えを言葉にすることができるようになってきた。そして「自分の中に入れたものを漫画としてアウトプットしたい」と思うようになったんです。

卒業後は教職に就くことになっていましたが、どうしても漫画家になる夢を諦められなくて、講談社の漫画賞に応募しました。「インチキ君」というあだ名が付けられた男の子の漫画で、この漫画で賞をいただき、当時講談社にいた佐渡島さんが担当してくださることになりました。

実は佐渡島さんにはこのとき「仕事をしながら漫画を描いたらどう?」って言われたんです。でもこのまま夢を諦めてしまったら、惰性で教えるようなグジグジした教師になっちゃうと思った。それなら期限を決めてでもチャレンジしようと思い、決まっていた仕事を断り、就職しませんでした。

ただ、そのあとうまくいくかと思いきやなかなかうまくいかなくて。「モーニング」で連載をした『ケシゴムライフ』もネーム作り(下書き)にまず1年かかりました。最初の1話はすんなりいったけれど、2話目はボツの嵐でしたね。