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女性の「ガラスの天井」を打破する1番の方法は?

あなたを駆動する「物語」について⑦
赤坂 真理 プロフィール

無数の「わたし」の物語

自分と同じ、一人の苦悩する人を見た時、多くの人は共感する。

だから懺悔は、聞く人にこう跳ね返る。

あの人は苦悩していた。重圧に耐え、苦渋の選択をした。わたしはどうだろうか? わたしは、電力がなくなることをおそれなかっただろうか。今の電力量を前提にできた、暮らしの中で。

自分も大多数の日本人と同じに、繁栄と豊かさと便利さと、その象徴としての電力を、欲した。安全や、生命さえ、その範疇で成り立っていたところがあった。

事故の惨禍と、これから長く長く続くだろう被害を、その目で見、肌で感じながら、原発を再稼働すること。

それは罪なのか。だとしたら罪は誰にあるのか。

原発を再稼働した男(枝野)なのか。

東電か。

原発を「押しつけた」アメリカか。

アメリカの要求を受け入れた先人たちか。

それをあたかも自分の望みであるかのようにふるまってきた人たちか。

福島から電気を「搾取」してきた東京都民か。

それとも――。

わたしなのか?

わたしも、当事者ではないのか?

そう、これは、無数の「わたし」の物語でもある。

そんなすべてがないようにして暮らしてきたわたしたち。

政治のしくみも、今まで見えないところにある、なにものかとの調整弁のようなものだった。それをあえて問おうとはしなかった。

民主主義なんか、実は機能していなかったのではないか。当たり前のようでいて、実は機能すら。

民主制とは、「民」が「主」の政治制度だ。だから「あなたのものだ」と枝野は語った。

ここで聴く者が問われている。

聴く者が、ただの聴く者ではいられなくなる。

これは、わたしたちのふるさと、わたしたちの国、そしてその統治の、話だ。

ほかの誰でもない。わたしの、わたしたちの。

今、進んで「罪の地」に立った男は、わたしたちの代表なのである。わたしたちを代表して、罪を認め、根本に立ち返り、重い荷を担って、先へ進もうとする人間なのである。

それこそが、「間接民主制」ということなのではないか?

しくみが今、目の前に開示されたのである。

こんなことは、日本の政治には、かつてなかった。

これが実効性を持つかは、また別次元の話である。

物語としてわたしは語っている。枝野幸男という固有名詞も関係なく、ここには、人の心を動かすものがある。そういうことを人は感動という。

「排除」が駆動する物語は、なぜか神話的になる。

(つづく)

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