規制緩和・政策

加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい

間違った指摘を繰り返すなら意味がない
髙橋 洋一 プロフィール

これ以上は、税金の無駄遣いでは…?

いずれにしても、マスコミが問題をみつけた当初の段階で「疑惑」と報道するのはいい。それは彼らの重要な役割でもある。しかし、最初の週刊誌報道から9か月も経っている。文科省文書のリークを朝日新聞が報じてからも半年経っている。その間、マスコミは疑惑を言い続けているが、何も新たな決定的な証拠を示していない。

もともと、これは「悪魔の証明」であり、「そんなものはない」という人に挙証責任を負わせるべきものではなく、疑惑を指摘する側のマスコミが決定的な証拠を示さないと話にならない。

疑惑と言い続けているのは、マスコミが仕事をできないことを白状しているようなものだ。普通の民間企業であれば、半年も進展のないプロジェクトであれば、もう終わりにすべきだろう。

また、これを延々追及する国会議員も情けない。もちろん、これもマスコミと同じで、決定的な証拠をつかめたのなら話は別だ。ただ、彼らもさんざん血税を使って調べたはずだろう。それでも答えを出せないものを追及するのは、税金の無駄使いでしかない。

 

去る10日には、毎日新聞が改めて前川氏の話を聞いて「(加計学園獣医学部)「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す」と報じた(https://mainichi.jp/articles/20171111/k00/00m/040/101000c)が、これも酷かった。

認可すべきでない、というのなら、どうして現役の官僚の時に、そうした行動をとらなかったのか。不思議で仕方ない。前川氏については、本コラムで何度もその主張の問題点を書いてきたが、この記事の中でも致命的なものがある。

ネットでは、前川氏の「(加計学園には)博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という主張に対して、飯田泰之氏が「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない」といったことが取り上げられていた(https://anonymous-post.com/archives/15671)。

しかし、これはやや勘違いだろう。大学院は、大学院大学と言うくらいで、学部とは独立した存在である。学部のない大学院大学もある。つまり、学部がなくても大学院は設置できるわけだ。

そうであるので、飯田氏のいう「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない!」というのは、ちょっと勘違いだとは思う。大学院設置の関係文書をみても、そうした規制は筆者の見る限りない。

医学部が37年ぶりに新設され、加計学園と並んで話題になった国際医療福祉大は、昨年の17年度に学部を開設している(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1376289.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2016/08/26/1376289_02_2.pdf)。

そして大学院は、今年の18年度大学院開設になっている(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm  http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_2.pdf)。

これを見れば、学部と大学院は同時に開設しなくてもよいことが分かる。常識的に考えても、大学は学部申請をするだけで忙しく、大学院も同時に申請することはできないだろう。しかも、昨年の国際医療福祉大医学部の時には、前川氏が事務次官であったときだ。そのとき、大学院はまだ認可していない。

それにもかかわらず、今回の加計学園で「加計学園には大学院がないから問題」ということは、自分が現役官僚時代にやったこと否定するもので、いかにも前川氏らしい、二枚舌・ダブルスタンダードであり、自分への大ブーメランとなっている。

こんな人のコメントを載せるぐらいしか「追及」の方法がないのなら、もう報道する価値はないはずである。いったいいつまでマスコミはこのことについて報道するのか、さすがにあきれてしまう。

最後に、マスコミ報道も「やり過ぎ」というレベルになれば、「根拠なく加計学園の名誉を毀損し、営業を妨害した」となりかねないのではないだろうか…という懸念を表明しておきたい。