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男目線の夢妄想を取り除いたら、遊郭は単なる「生き地獄」だった

R-18文学賞作家の胸を揺さぶるもの
蛭田 亜紗子 プロフィール

男たちが見る夢、女たちが生きる現実

廓では遊女に客がついていても、馴染み客がやってくるとどんどん受け入れた。複数の客がバッティングしてしまった場合、床入り中の客が共用部屋である廻し部屋へ移動させられることになる。贅を尽くした座敷から粗末で猥雑な相部屋に押し込まれ、いとしい遊女は待てど暮らせど戻ってこない。

どの客を座敷に入れてどの客を廻し部屋へ行かせるのかは、遊女の裁量で決まることが多かった。身分制度が厳格な時代でありながら、たとえ武士であっても優遇されることはなく、金の力を持ってしても順番を変えることはできない。理不尽であると同時に、揺らぐはずのない現世のルールが通用しない空間は、ある種の爽快さを男たちにもたらしたに違いない。

 

幕府が安定して町人文化が花開き、庶民は娯楽に耽溺したほがらかな時代だったと語られがちな江戸時代。だが、実情は窮屈な面が多い社会であり、がんじがらめの世間の価値観から自分を解放する機能も廓にはあった。

廓で男たちが非現実の夢を見るいっぽうで、女たちは厳しい現実そのものを生きていた。

親や女衒に売られた娘は、6、7歳で妓楼での奉公をはじめ、花魁の身のまわりの雑用をこなす禿になって手習いや三味線の稽古をし、14、15歳で振袖新造として客を取りはじめる。

菊地ひと美『廓の媚学』イラスト例(2)菊地ひと美『廓の媚学』より

花魁まで上りつめると室内の調度品から衣装、食費、従業員への心付け、郷里への仕送り、妹分を養う経費など莫大な支出を余儀なくされ、馴染み客からうまく金を引き出すことができなければ自分の借金となって年季が延びる。あげく、病気や心労や中絶の失敗などで多くは20代のうちに亡くなっていた。

男たちにとって金銭的にも精神的にもひりひりと焼けつくような恋の火遊びであったが、身を削り命を縮める女たちには、地獄の業火で焼かれるようなものだったに違いない。

高い教養や芸事も男の望む理想に合わせてのこと。客の言いなりにはならない気高さも、かんたんにはなびかない高級感が求められていたから。男を狂わせる駆け引きも床技も、客から金を引き出して少しでも年季明けを早めたいがため。

後世に伝わっている歌舞伎や文献は男の手によるものが中心で、そのなかに描かれる遊女は男目線の「夢の女」だ。知れば知るほど、聞こえてくることのない彼女たちのほんとうの声に耳を澄ませたくなる。

『凛』書影大正期の北海道を生きた、或る男女の美しく哀しい物語が、現代を必死に生きる男女の姿と重なる。R-18文学賞受賞作家の新地平!(amazonはこちらから)