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男目線の夢妄想を取り除いたら、遊郭は単なる「生き地獄」だった

R-18文学賞作家の胸を揺さぶるもの
蛭田 亜紗子 プロフィール

衣装と気概の「絵空事」

江戸時代の遊郭というと、花魁の衣装をまっさきに思い浮かべるひとは多いだろう。

ウサ耳に似た立兵庫や蝶々のような横兵庫、後光のごとく放射状に挿している鼈甲の簪、前に結んで垂らしているかたくて重そうな帯、布団のように分厚く重ねた打掛、歩くのも困難なほど厚底の高下駄——。90年代後半の原宿ファッションもかくやというデコラティブな扮装である。

だが、これは江戸後期における花魁道中の衣装であって、初期や中期はそれほど豪奢ではなかったという。庶民に比べたら華美で最先端ではあったものの、まだ一般の婦女子の延長線上にある装いだったらしい。

 

それがなぜ、たんに華やかでうつくしいだけではない、現実離れした過剰な扮装へと進化を遂げたのか。理由のひとつは、遊女と妓楼の宣伝や、金を出した馴染み客のステイタスのアピール。ふたつめの理由として、「非日常性」を演出するためではなかったかと筆者は推測している。

身分制によって階層が分断され、中流以上の家では長男の家督相続と結婚がイコールで結ばれていた時代。昨今、芸能界や政界の不倫ネタが世間を賑わせ、「バッシングが過熱しすぎではないか」「いや、もっと制裁を受けるべきだ」などと物議を醸しているが、江戸時代には不義密通は死罪になることもある重罪だった。

そんななか、男にとって廓はただ性を買う場所ではなく、しがらみから解き放たれて自由恋愛を楽しめる特別な空間として存在していた。ここは現実とは異なる「絵空事」の世界です——そう演出するために、廓全体でファンタジーめいた世界を創り上げていたのだ。

菊地ひと美『廓の媚学』イラスト例(1)菊地ひと美『廓の媚学』より

『廓の媚学』では、後生に名を残した遊女のひとりとして、「三浦屋の揚巻」のエピソードが紹介されている。現代でも人気がある歌舞伎の演目『助六由縁江戸桜』において、揚巻は旦那の意休に歯向かい、間夫(情夫)である助六をかばって啖呵を切る。

「叩かりょうが踏まりょうが、手にかけて殺さりょうが、それが怖うて間夫狂いがなるものかいなあ。(中略)さぁ、切りゃんせ。たとえ殺されても、助六さんのことは思い切れぬ」

金で買われる囚われの身でありながら、権力や金力に反抗心を見せる“意地・張り”は、吉原の高級遊女の持ち味とされていた。幕末から明治の廓の女主人が著した『吉原夜話』には、教養や礼儀作法、性根の優しさと並んで「達引(意地を張って争うこと)の強さ」も花魁の大切な心がけとして挙げられている。

武家の都である江戸において、町人たちは侍に対して頭を低くして暮らさなければならなかった。自分では真似できないような理想像を、男たちは廓の女たちに押しつけていたのだろう。美化されたエピソードとして現代まで残るほどに。