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「わかりみ・よさみ・ありよりのあり」…若者言葉に反応できますか?

分からなければ「なしよりのなし」です
りょかち プロフィール

現代の彼女たちが発しているのは新しい言葉の組み合わせですが、実はこれってとても既視感がある。実際にそこにあるのは、普段使い続けている「〜だとも考えられる」「〜のほう、失礼します」「私はちょっと…(その先を言わない)」などと言った、昔から“日本人らしい”とされる曖昧な表現だと思うのです。

シンプルだからこそ曖昧に

言葉が変わっても、私たちのコミュニケーションの中にある「日本人的な表現方法」は変わらず存在している。特にこのような「曖昧な」表現はSNSでこれからも増えていくと私は予想しています。

なぜなら、これからの世代の人たちはきっと、私たちの頃よりもはるかに「遠隔でカジュアルに」誰かとコミュニケーションする機会が多いからです。

 

メールに始まる、離れた人と行えるテキストベースの非同期的なコミュニケーションは、私たちの会話をより自由で便利なものにしました。今現在コミュニケーションのインフラになっているLINEはさらにスピーディにやりとりができ、その内容もよりカジュアルなものになっています。

(了解)」「ま?(まじで?)」などという言葉も流行していますが、それはカジュアルなコミュニケーションを高速で数多くしているからこそ。究極にコミュニケーションが簡素化されているのです。

一方で、カジュアルでシンプルな言葉が大量に行き交うからこそ、ちょっとした表現によって意思の疎通がうまくいかなくなってしまったり、コミュニケーションによって傷つく機会が増えてしまう環境に置かれているのも事実です。

そのような環境から、私たちにはカンタンに、かつ的確に自分たちの感情を伝える表現を必要としています。リアルでの会話と違って、「同じ言葉でも、伝える表情や声色で真意がわかる」なんて世界はいまだSNSにはありません。

だからこそ、テキストのなかで、できるだけはっきりした表現を避け、伝わる意味を曖昧にした上で、正確さを担保するために細かいニュアンスのグラデーションをつけていくのだと思います。

コミュニケーションが自由になればなるほど、私たちは、言葉に繊細になる。「若者ことば」とされる言葉のテンプレートが、曖昧な表現なのに微妙なニュアンスの違いを持っていくつも存在している理由の奥底には、相手の心情を思いやり、曖昧さで相手を傷つけまいとする日本人らしい心情があります。

言葉が変わってしまっても、その用途を覗いてみれば、「わたしたち」と変わらない心情が存在している。2017年の若者の中で、これらの言葉が大量に行き交うのも、「わかりみが深く」私たち世代にとっても、「ありよりのあり」なコミュニケーションなのではないでしょうか。