バルサのユニフォームを着てカタルーニャの旗を持つ青年(Photo by gettyimages)
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独立したい?したくない? カタルーニャ現地人のホンネを聞いてみた

ついにバルサも声を上げ始め…

10月30日、21時開始のナイトゲームだった。スペイン、カタルーニャ自治州のバルセロナ県。中心部からは少し離れたRCDEスタジアムでは、エスパニョール対ベティスという1部リーグのゲームのキックオフが迫っていた。

当日のRCDEスタジアム(筆者撮影)

「カタルーニャ独立問題に関し、クラブは中立を守る。スポーツに政治を介入させない」

エスパニョールはカタルーニャでFCバルセロナ(以下、バルサ)に次ぐ大きなクラブだが、そう声明を発表している。この一戦を前に、スタジアムではスペイン国旗が靡くのも、カタルーニャ国旗が靡くのも認めていない。結果、チーム旗以外の旗が並び立つことはなかった。

カタルーニャ州(バルセロナ県の他、タラゴナ、ジェイダ、ジローナの4県で構成される)は、スペインからの独立問題に揺れる。しかし、なにも全員が独立を望んでいるわけではない。現地を訪れると、その現実が垣間見えた――。

 

バルサとマドリーの確執

今や世界的なニュースになっている「スペイン、カタルーニャの独立問題」。その深部が縮図として浮き出ている場所がある。それは、サッカースタジアムにある風景だ。

例えば、世界的サッカークラブであるバルサはカタルーニャのクラブとしてアイデンティティを守ってきた。1930年代の市民戦争後、スペインはフランコ将軍の独裁政治体制となり、カタルーニャは言語や文化行事を禁止され、弾圧されている。

その最中、唯一溜飲を下げられたのが、バルサがフランコお膝元のレアル・マドリーに勝つ瞬間だった。これが「mes que un club」(カタルーニャ語で「サッカークラブ以上の存在」)と言われる所以だ。

1970年代に独立政権は倒れ、カタルーニャは自治を求められたものの、バルサ対マドリーの構造は今も色濃く残り、カンプ・ノウスタジアム(バルサのホームスタジアム)ではカタルーニャ人の憎悪が渦巻く。例えばバルサからマドリーに移籍した英雄ルイス・フィーゴには空き瓶や小銭だけでなく、子豚の頭までがピッチで投げつけられた。フィーゴはポルトガル人だが、「売国奴」同然の扱いだった。

移籍後のフィーゴ(Photo by gettyimages)

日本人には捉えにくい感覚だろうが、スペインは一つの国ではない。国の中に複数の国を抱えている。カタルーニャだけでなく、バスク、ガリシア、それに一部バレンシアも、独自の文化、言語を持つ。自治政府として国内に収まっているが、それぞれの町の標識には、スペイン語と各地域の言語の両方が表記。バルセロナの地下鉄アナウンスはカタルーニャ語だし、現地の人はカタルーニャ語での会話が基本となっている。

カタルーニャは限りなく国に近いが、国ではない。その縮図はカンプ・ノウスタジアムで目にすることができるだろう。

「カタルーニャの独立は、18才の息子が家を出て行く、と言っているのに似ている。スペインは父親として、息子と対話の席に着くべきだ。息子がそれでも出ていくとしても」

バルサの選手で、スペイン代表でもあるジェラール・ピケ(バルセロナ県出身)は独立問題をこう喩えている。婉曲的な言い方だが、多くのカタルーニャ人が「自分たちはカタルーニャ人で、スペイン人ではない」と力説する。独裁政権時代、親戚や友人が拷問を与えられたケースも多く、その恨みも燻っている。