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なぜ安倍政権の「公文書隠し」は起きたのか、ゼロから解説する

森友・加計・PKO日報問題の本質
三木 由希子 プロフィール

外からは確認しようがない

公文書管理法も情報公開法も、行政文書によって政府が説明責任を果たすことを目的としている。つまり、何を行政文書としているかは政府が説明責任を果たすために必要と理解している範囲ということになる。

行政文書の定義には、①行政機関の職員が職務上作成・取得した文書であること、②組織的に用いるものであること、③行政機関として保有していることの3つの要件がある。

職員が職務の中で作成・取得した文書がすべて行政文書になるわけではなく、②の要件で個人文書と行政文書を分ける考え方だ。

具体的には、個人が作成したメモや備忘録、検討段階の文書や参考資料で、本人限りで用いているものは「個人文書」になるが、複数の職員の間で共有され利用された段階で、業務上必要な文書として組織共用されたので行政文書になる。

作成・取得段階で個人文書であったか否かは関係なく、文書の利用のされ方で判断し、行政文書に該当する場合は法に従って管理することが求められる。

 

この定義の最大の難点は、行政機関内で文書がどのように利用され、管理されているかが外部から確認できないことだ。

行政機関が文書の利用実態に照らして、適切かつ誠実に行政文書と判断し、管理できるという政府性善説を前提にしているが、現実には政府にとって存在すると不都合な文書が「個人文書」扱いにされたり、隠ぺいされたりする可能性が常にある。

この問題が端的に表れたのが、南スーダンPKO日報問題と加計学園問題だ。

監視する術はほとんどない

南スーダンPKO日報問題は紆余曲折があったが、7月28日に公表された特別防衛監察の結果、情報公開請求を受けて、行政文書として存在していた日報を「個人文書」とみなし、行政文書に該当しないとして不存在決定していたことが明らかになった。

「個人文書」と最初に言い出したのは、南スーダンに部隊を派遣している陸上自衛隊中央即応集団の副司令官とされ、監察結果によると「部隊情報の保全や開示請求の増加に対する懸念により日報が該当文書から外れることが望ましい」と述べたという。

加計学園問題の文科省文書は、当初、官房長官は「怪文書」とし、文科省も一貫して存在を「確認できない」としてきた。

しかし、前文科事務次官や現役職員の証言、10人以上に同報された電子メールの存在が報道された結果、文科省は内部調査を行い文書の存在を認める報告をまとめているが、すべてを行政文書と認めたわけではない。

一部の文書は、個人のパソコンに保存されていた個人文書だとしている。その中には、複数の職員で共用したと証言のある文書も含まれているが、わざわざ文科省は報告の冒頭で、今回はあくまでも例外的に個人文書を探して公開したと述べている。

本来ならば、行政文書が個人管理されていたことを問題にすべきだが、そこは不問にしている。

文書が実際にどのように利用され、保管されているかは外部からわからないので、適当にもっともらしい説明をされると、それに対抗するには内部情報を得るしかない。しかし、そのようなことはめったに起こらない。

南スーダンPKO日報や加計学園問題という、政局に絡む政治問題という特殊性から今回はたまたまいろいろなことが明らかになったと理解すべきで、通常は文書不存在を覆すことができない。

政府が信頼できないと、行政文書の範囲も信頼できないわけである。