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「平成はどんな時代だったか」を総括したがる人たちが忘れているコト

実は、昭和にも似たような議論が

天皇の退位に合わせて、テレビ局や新聞社を中心に、平成をふり返る大型特集の準備が進んでいる。気の早い朝日新聞はすでに特集記事の連載を始めた。「失われた20年」がすっぽり収まるこの停滞の時代を総括したとき、そこに何が残るのか。そもそも総括することに意味はあるのか。『「元号」と戦後日本』の著者、鈴木洋仁氏が語る。

元号は「人為的」区切りにすぎないが

「平成」が、まもなく終わる。
 
報道によれば、再来年3月31日に「平成」は終わる。そして、次の元号が、来夏にも発表されるとも報じられている。今上天皇の退位日を含めたスケジュールは、近いうちに開かれる皇室会議において決められるため、本稿執筆時点では不明だ。

こうした「平成」の終わりを見越して、これまでの年月をふり返る記事が、大手新聞を中心に出始めている。たとえば、朝日新聞の「時代を語り刻む意義 平成とは」(2017年8月27日付)は、次のように始まる。

「今の元号『平成』の終わりと、次の時代の始まりを意識する時が来た」

その上で、朝日新聞は「元号は人為的な時間の区切りにすぎないが、『平成とはどんな時代か』は、後々にイメージとして定着するだろう」と述べる。

だが、果たして「イメージ」は本当に後々定着するのだろうか。「平成」の終わりが見えたとはいえ、まだ終わってはいない。その現段階で、なぜ、定着すると言えるのだろうか。

確かに、「明治人」とか「大正デモクラシー」とか、あるいは「昭和ひと桁生まれ」といった表現が、これまで多く使われてきた。確かに私たちは「イメージ」を持っている。片山杜秀氏のような「元号は日本人の歴史意識を根底から規定してきた」(『週刊エコノミスト』2017年4月4日号)という見方もある。

たとえば、明治神宮は、「明治」の終わりにその時代をふり返るため、そして偉大な天皇を讃えるために造られた。ほかにいくつもの例があるように、日本人は、時代のイメージと元号を重ねてふり返る営みを、これまで続けてきた。

では、元号によって時代をふり返り、イメージすることには、どのような意味があるのか。いま「平成」という「元号」によって時代をイメージするとは、どういうことなのか。筆者はそのような問いを出発点に博士論文を執筆し、加筆・修正の上、先ごろ『「元号」と戦後日本』(青土社)として出版した。 

朝日新聞も強調しているように、「元号は人為的な時間の区切りにすぎない」。それでも、慶応から明治への改元と同時に「一世一元」、すなわち、一人の天皇の即位から退位までは一つだけの元号を使う、という制度を、現在の日本は維持している。

 

「平成」の世に「平成」をふり返る意味

明治、大正、昭和の天皇3代にわたって、退位と崩御は一致していたため、「人為的」というよりも「属人的」といってもよいかたちで区切られてきた。

しかし、「平成」は崩御ではなく、退位によって終わる見込みだ。ただし、不謹慎ながら、昭和までと同様になる可能性もゼロではない。どちらにせよ、そうした「終わり方」について本稿で云々したいわけではない。

そうではなく、「平成」がこのような形で終わりつつあるそのさなかに、「平成」をふり返ることの位置づけ・意味合いを、考えてみたいのである。

生前退位の意向を表明する今上天皇国民へのビデオメッセージで生前退位の意向を表明する今上天皇 photo by gettyimages

筆者は3年前、『「平成」論』(青弓社)を書いた。読者からの反応として最も多かったものは、「平成はまだ終わっていない。だから、ふり返ることはできない」というものだった。むろん、3年前に「退位」という議論はまったく出ていないし、おそらく誰も予想していなかった。

同書で筆者は次のように主張した。「平成」において「平成」を回顧することには、何らかの意味があるのではないか。「平成」の渦中にあるからこそ、そして、イメージが定着していないからこそ、その有無を含めてふり返ることによって、自分たちが生きる現代を認識し、座標軸を定められるところに意味があるはずだ、と。

さらに、「昭和史」をめぐる議論は、「昭和」のころから同時代的に行われていたが、その流れのままに「平成史」を議論することは不可能ではないか。「平成」はフラットな=中心のない時代であり、おそらくは終わったとしても(あるいは始まってからこの方ずっと)「イメージとして定着する」ことのない時代であろう、というのがもう一つの主張だった。

その主張は、どこまで受け入れられたのか、わからない。もとより「スルーされた」と言ったほうが正確かもしれない。

にもかかわらず、この「平成」の終わりにあたって出版した『「元号」と戦後日本』においても、筆者は前作とほぼ同じ考えを別のかたちで論じた。「昭和」のさなかに「昭和」をふり返る動きとして「昭和史論争」という先行事例があり、それを検討することで、「平成」において「平成」を回顧するふるまいの重要性をあらためて確認できたからだ。