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読書人の雑誌「本」

「女が美しい国は戦争をしない」と言った伝説の美容家をご存じか

「メイ牛山」の生涯を振り返る

本物は死なない

「メイ先生のことですか?」

向きあった方が一様にふわりと柔らかく、そして楽しげに微笑むことに気がついたのは、取材を始めて間もなくのことだった。

美容家メイ牛山の評伝を執筆するにあたり、重ねてきたインタビュー。「ハリウッド」グループの社員、創業当時からのOB・OGの方々、ご家族、それに女優の司葉子さん。どの方も目を輝かせ、いかにも嬉しげに故人のことを語りだす。

亡くなって今年でちょうど10年。遺された者の記憶はいよいよ輝きを増し、日々感謝の念とともにその人の生きざまを反芻する……ほんとうに偉大な人は「死なない」のだった。

お団子ヘアに着物姿でテレビに出ていたメイ牛山は、「ハリウッド」グループのシンボルとして日本女性の美を追究してきたパイオニアであった。自身の著作も数多い。

その精力的な仕事ぶりを調べていくにつけ、この国の戦前からの美容の歴史、そして六本木の歴史とが、ひとりの女性を介してとてつもなくダイナミックに立ち上がってくる。

膨大な資料を前にして、この人の生涯を一冊の本にまとめることなど、とうていできないようにも思えてくる。そこへある魅力的な物語性をもたらしてくれたのが、メイ牛山の伴侶であり、「ハリウッド」創始者であった牛山清人の存在だった。

 

「女はいつも楽しく美しく」

大正時代にアメリカへ渡り、ハリウッド・スター早川雪洲の弟子となった清人は、俳優業では芽が出ず、美容業に転じてメイクアップアーティストであるマックス・ファクターの技術を日本に持ち帰った。

戦前の銀座を闊歩したお洒落なモガたち、その立役者のひとりが、メイ牛山の伴侶となる清人だった。

山口の瀬戸内海に面した小さな町から18歳で単身上京してきた女の子・高根マサコ(のちのメイ牛山)が、アメリカの、映画の都の風をまとった青年・清人と出会い、そして運命に導かれるように結婚する。

まさに第二次世界大戦開戦前夜。彼女はその先いかなる苦境にも屈せず、ひたすら女性がまた美しく装える日をめざして生きる。

女が美しい国は戦争をしない

書籍のタイトルとなったこの文言は、メイ牛山自身がたしかに言った言葉だった。

戦後すぐ焼け野原の六本木にサロンを開き、一人ひとりに合わせた個性的な施術を提供し、日本女性の美というものを発信し続けるなか、その熱源となっていたのは、戦争に対する憎悪や嫌悪といった否定的な思いではなく、ただ女性が美しくあること、楽しく幸せであること。それが世の平和に繫がると直感した言葉であった。

理屈ではなかった。たとえば空を見上げたときの雲の形。野の花の可憐さ、その色あいの微妙さ。自然に畏敬の念を抱き、感受する。自らも自然物であるとして、自分の手を通して新たな美を生み出す……。ただひたすらその作業をして生きた人がマサコであり、「メイ牛山」の名を与えたのが牛山清人だった。

奇跡のような人間の結びつきというのはあるものだとつくづく思う。偶然ではない、必然的に出会い、高めあい、お互いの人生を命がけでサポートするような。

お互いがそもそも誇り高く生きようとしていた個人同士であり、ふたりの結婚生活は努力によって創出されたものだった。などというと高尚で手の届かない世界のように思われるかもしれないけれど、メイ牛山をよく知る人びとからお話をうかがうごとに、伝わってくるのは優しさと朗らかさ、そして生涯失うことのなかった少女のようなみずみずしい感性だった。

「女はいつも楽しく美しく」

六本木の「ハリウッド」本社ビルを訪れると、その大きな書がまず出迎えてくれる。メイ牛山の力強い筆遣い。これは晩年のキャッチフレーズだった。

亡くなってからの10年の間に大きな震災があり、社会的な分断が進み、この国の行方はいよいよ混沌としたものになってきた。今こそメイ牛山の生きざまと、その数々の言葉とが、現在を生きる私たちに響いてくる時のように思う。

読む方たちに、なるべく率直に伝わるように、メイ牛山が蘇り勇気を与えてくださるようにと願っている。

読書人の雑誌「本」2017年11月号より