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読書人の雑誌「本」

作家・大沢在昌があえて「小説家を主人公にした小説」を書いた理由

断じて「私小説」ではありません

リアリティなんて、目じゃない

人間は変わるものだ。拙書『覆面作家』を上梓するにあたって、思ったことだ。

小説の主人公に作家をすえることに、ずっと抵抗を感じてきた。理由はいくつかあるが、最も大きいのは「安易だ」というものだ。

さまざまな職業、性別、ときには人間でない何かすら、主人公にした小説を、我々は書く。

主人公の設定と物語の内容は不可分であるから、書きたい物語にとってぴったりの主人公を我々は考える。そして主人公にリアリティを与えるため、その職業に関する知識、考え方、言葉づかいなどを学ぶ。

いわゆる取材という奴で、勉強といえば勉強だが、まあ「泥縄」といっていい。「泥縄」でもそれなりの時間がかかるし発見もあって、さらにいえば取材で得た知識の取捨選択は、それ自体が勉強でもある。

ところが作家を主人公にしてしまったら、まるでその必要はなくなる。日常、業界用語、考え方、どれをとってもよく知っているものばかりだ。楽といえばこれ以上楽ちんな設定はない。

いやいや、世の中にはいろいろな作家がいるのだから、自分とかけ離れたタイプを主人公に設定すれば、安易にならないのでは、と思われたあなた、申しわけない。

この本の主人公はミステリー作家で、ハードボイルド小説を主に書いている。パソコンを使わず、いまだに手書きという時代遅れの上、赤い灯青い灯の夜の巷が大好きときている。え、お前そのものじゃないかって。

そうなんです。すみません。

といって私小説というわけではもちろんない。すべて作り事、噓八百、娯楽読み物である。

 

思いついた物語が、作家を主人公にすえなければ書きづらかったので、書いてしまった。業界の小ネタや愚痴、小説家とはこんなことを考えているのか、といった材料はふんだんに入っている。

小説におけるリアリティなんて、目じゃない。これはリアルそのものといっていい。

威張っているわけではない。やはり、そこは四十年近くもやっていると、何を書いてもリアルになってしまうわけで、これを読んで「作家なんてなるものじゃないな」と思われるか、「作家っておもしろいな」と思うかは、その方の「小説家好き」度で、分かれるところだろう。

小説好きではなく、小説家好きなので、おまちがいのないよう。

とはいっても、くり返しになるが、作品中の「私」の身にふりかかる事件はすべてフィクションである。こんなことが起こっても不思議はないと思える生活を送ってはきたが、決して現実には起こらなかったことばかりなので、誤解はされないように。

安易だし、それしか書けなくなったと思われても困るので、「私」シリーズはこれにて打ち止めにしようと思う。

万が一、他の作品より売れてしまったらどうするって?

そうなったら自信を失くすだろうな。「自分探し」の旅にでもでます。

読書人の雑誌「本」2017年11月