ハリソン・フォード〔PHOTO〕gettyimages
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ブレードランナー他、なぜいま歴史的SFの新作が次々撮られるのか

いまそこにある「人類の危機」

人類と人類でないものの違い

話題のベストセラー、ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』(柴田裕之訳、河出書房新社)を、遅まきながら読んだ。

人類が他の動物と異なるのはどこなのか、なぜそうなったのか、人類とは何なのかの問いかけをベースにして人類の歴史全体を見直すという本だ。

「◯◯とは何か」というような、とらえどころのないテーマを考える場合、「◯◯と◯◯ではないものとの違い」を考えていくという方法がある。「日本人とは何か」を考えるとき、「日本人と日本人ではないものとの違い」を考えていくという方法だ。これが有効な場合もあれば、かえって訳が分からなくなる場合もある。

『サピエンス全史』はこの方法を使いながら、人類史を描いているように読める。

サピエンス全史

その『サピエンス全史』を読んでいた時期、9月から10月にかけて日本で公開された、3作のSF映画を続けて見た。偶然にも、どの映画も「人類と人類ではないものとの違い」を描いていた。

公開順に、『猿の惑星 聖戦記』『エイリアン コヴェナント』『ブレードランナー2049』だ。どれも30年以上前に第1作が作られたシリーズものの最新作であるという共通点も持つ。

 

『猿の惑星』の世界観

『猿の惑星』はフランスの作家ピエール・ブールが1963年に発表した小説が原作で、映画になるのが1968年で、チャールトン・ヘストンが主演してヒットした。

当時のアメリカは対外的にはベトナム戦争、国内的には公民権運動と学生運動で揺れ動いており、どちらも白人優先主義に対する疑問を出発にしたものだ。

そういう時代精神と『猿の惑星』の世界観――白人が有色人種に勝っているという考えの愚かさを描く寓話――がマッチした。

猿の惑星

この映画を見て、数万年前、あるいは数十万年前のどこかの時点で、チンパンジーやゴリラが知性を獲得していれば、体力的に劣る人間が猿に支配されていてもおかしくはないと思った人は、同時に、約1000年前に、黒人が大国を作っていれば、ヨーロッパにいる白人がアフリカへ連れて行かれて奴隷になっていたかもしれないし、アジア人がアメリカ大陸を征服して植民地にしていたかもしれないわけで、白人が世界を支配したのは偶然にすぎないとの思いを巡らせていたのである。

映画『猿の惑星』がヒットすると、続編が作られ、73年の『最後の猿の惑星』まで全5作となった。以後も、『猿の惑星』はテレビドラマ版やアニメも作られるなど、根強い人気のあるシリーズだった。