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坂本龍一、山崎豊子、久米宏――天才に共通する「気質」の正体

庶民の生活習慣も変えてしまった

「ほにゃらら」という言葉を作った男

今回は私が尊敬する三人の天才について。

「ニュースを変えた男」はジャーナリストではなく、真のエンターテイナーだった。『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』は、今年発売された自伝。私が小学生のころからニュースを見るようになったのは、間違いなく久米さんの影響だ。

アナウンサー人生は、決して順風満帆ではなかった。記念受験が祟ったのか、TBSに入社すると、すぐさま肺結核や胃腸炎で2年半の闘病生活へ。しかし、その間に見聴きしたテレビ、ラジオ番組を研究する中で「生活感を消す」というクールな答えに辿り着き、唯一無二のアナウンサーへの道が開ける。

永六輔さんのラジオ番組のリポーターとして才能が開花。その辺にある電信柱から日活ロマンポルノの撮影現場まで、型破りな生中継は聴く者の度肝を抜いた。

活躍の場をテレビに広げるも、最初の4年間は「番組つぶしの久米」と呼ばれるほどの失敗続き。しかし、コント55号と共演した「ぴったし カン・カン」が大ヒット。伏せ字を表す際に使う「ほにゃらら」という言葉は、同番組で久米さんがつくったと初めて知った。

黒柳徹子さんと番組スタッフのプロ意識に痺れた「ザ・ベストテン」。フリーになった久米さんが構成から挑んだ「TVスクランブル」では、芸人・横山やすしの切ない裏顔が垣間見えた。

そして85年10月、テレビ朝日が社運を懸けた一大企画「ニュースステーション」が始まる。この番組がいかにビッグ・プロジェクトであったかは、CMスポンサーの説得に奔走した電通の動き一つ取っても分かる。

フィリピンのマルコス政権崩壊を緊迫の生中継で伝えるなどし、初期の視聴率低迷期を脱すると、日本人に「一日の締め括りにニュースを観る」という習慣を根付かせた。

番組成功の鍵は第五章の「神は細部に宿る」で明かされる。スタジオの奥行き、テーブル、ペン、衣装、原稿、コメント、表情、映像。これまでのニュースになかったアイデアを次々と取り入れたことで、番組は「楽しさ」と「美しさ」に満ちた。久米さんの美学の原点は、視聴者目線のエンターテインメント魂だ。

本書にはメモしたくなるような格言がちりばめられているが、改行などせずにさらりと書いてしまうのも、久米宏流。

「神は細部に宿る」を体現した作家と言えば、山崎豊子。『山崎豊子先生の素顔』の筆者、野上孝子さんは、通っていた大学で「秘書募集」の張り紙を見つけて以来、52年間に亘り山崎を支えた。

取材が難航した『白い巨塔』や『華麗なる一族』では、医師や弁護士、銀行マン、鉄鋼マンに食らいついて勉強会を重ね、大学病院の教授選や金融再編といった「男社会」に鋭いメスを入れた。

戦争三部作の取材は、さらに凄みを増す。元大本営作戦参謀の肩書を持ち、総合商社で辣腕を振るう主人公を描いた『不毛地帯』では、シベリアやテヘラン、ニューヨーク、サウジアラビアなど世界を回って情報を収集。

戦時中に強制収用所に隔離され、戦後は東京裁判の通訳をチェックするモニターを務めた日系人を主人公にした『二つの祖国』では、日系一世、二世の人たちに話を聞いて回り、東条英機元首相の遺族にも会った。

 

胡耀邦からの「お墨付き」

『大地の子』では、中国国内の取材を三年。文化大革命の余韻漂う中国で、人々から本音を聞き出すことに苦労した一方、戦争孤児の方々の悲劇に誠心誠意寄り添った。圧巻なのは時の最高指導者、胡耀邦総書記に三度も面会し「中国の欠点も、暗い影も書いて結構」とお墨付きをもらったことだ。現在の日中関係を考えれば、まさに規格外の取材だ。

後に銀行から借り入れをしてまで戦争孤児のための基金をつくったのも、山崎が人間を描いた作家と言える証だ。