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「高山善廣さんが僕たちに教えてくれたこと」高木三四郎社長が明かす

「今度は僕たちが動く番です」

プロレスラーの高山善廣さんが、5月4日の「DDTプロレスリング」豊中大会で頸髄完全損傷の大怪我を負い、その後、「首から下が動かない状況」と報告したことは、ファンのみならずとも大変ショッキングな出来事だった。

現在、高山さんは日々過酷なリハビリに臨んでおり、高山さんを支える有志の会「TAKAYAMANIA」が、支援のための募金を呼び掛けている。

「事故が起こってしまった団体のトップとして、責任を感じている。皆さんにも高山さんの支援をお願いしたい」と話すのは、DDTプロレスリングの高木三四郎社長だ。高木社長のメッセージを聞いた。

高山さんを招聘した理由

事故が起こったその瞬間、僕は控室にいました。ちょうど自分の試合が終わって休んでいたところでした。そこに、スタッフから「高山さんがリング上で動かなくなりました……」という連絡が入りました。控室にはリングの様子を見られるモニターがあるんですが、そのモニターを覗くと、リング上にいろんな選手が集まっていました。

すぐに異変を感じました。

試合を担当していた木曽(大介)レフェリーが、リングサイドにいた松井(幸則)レフェリーを呼んだところ、高山さんは会話ができる状態で、「苦しい。息ができないので体を起こして欲しい」と言われたので、体を起こしました。

リング上で事故が起こった場合のマニュアル通り、すぐに病院を確保して、救急車を呼んで、と、迅速かつ適切な処置を行いました。高山さんは断片的ではありますが、僕に「体の感覚はまだ残っている」「息苦しい」と状況を説明してくれて、救急車に乗り込む際に最後「ごめんね」と言いました。

その言葉が頭の中に残っていて、心の整理がまだついていないというのが正直な気持ちです。自分のことよりも、まずは周りに心配をかけているということを、申し訳なさそうにされていました。僕にはそれがつらかったです。ただ、この人のことを何としてでも助けたい、と思っています。

 

高山さんは2016年の9月からDDTに参戦していただいていました。当時、DDTがさらに上のステージを目指していく中で、若手選手の育成のために、「高い壁」を必要としていました。

僕自身、2000年に大仁田厚さんと試合をする機会をもらいましたが、そのときに、とてつもない刺激を受けたんです。リング上ではこう振る舞えばいいのか、こうして観客の視線を集めればいいのか、と、経験豊かなレスラーと手を合わせたことで多くのことを学べましたし、それ以降、誰と対戦する時でも物怖じしなくなったんです。

こういう経験を、若手にも積ませたいなとずっと思っていた。それで、高山さんに若手にとっての高い壁になってもらうべく、参戦をお願いしたところ、「ぜひ」と快く応じていただきました。

やっぱり全然違うんです、高山さんがリングに上がると、選手の緊張感が。それこそ、年間100試合以上も戦っていた一流のレスラーが目の前にいるんですから。さらに、高山さんのプロレスを見ていると、学びになることがとても多いんですね。例えば高山さんは会場の大きさに分けて、戦い方を変えている。

大きな会場では動きを大きく見せる大技で魅せるし、小さな会場だと、息遣いが伝わってくるような関節技を使ったりとか。若手にとってはプロレスの幅の広さを学ぶ、本当にいい機会になりました。

試合が終わった後にも、選手に丁寧に「あの時の技はこうかけた方が会場が湧いたよ」「ああいう相手の時には、あまり動き回らずどっしり構えた方がいい」というふうにアドバイスをくれるんですね。若手にも気さくに声をかけてくれる。それは励みになりますよ。