【PR】フェンシング太田雄貴が「人生で一番感動した瞬間」

YUKI OTA

太田 雄貴

2017.11.20 Mon

左から、大寺かおりさん、太田雄貴さん、日本生命商品開発部課長補佐・大菅聡和さん

元フェンシング日本代表で、北京2008オリンピックとロンドン2012オリンピックの二大会連続銀メダルを獲得した太田雄貴さん。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会誘致メンバーとして活躍した姿は記憶に新しい。現役時代のエピソードや2020年への想いなどについて、東京2020オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナー(生命保険)である日本生命に勤務されている、商品開発部の大菅聡和さんとともに、フリーアナウンサーの大寺かおりさんが話を聞いた。(取材&文・平原悟/写真・村田克己)

人生で一番感動した「TOKYO」の瞬間

大寺 太田さんは先日、2024年のパリ、2028年のロサンゼルスでの夏季オリンピック開催を決定した国際オリンピック委員会(IOC)の総会に行かれたそうですね?

太田 東京2020大会招致のときは3つの都市から1つの開催地を選ぶコンペティションでしたから、ある種の殺気だった雰囲気でした。それに比べて今回は、2024年のパリ、2028年のロサンゼルスでの開催を承認する発表ですから、きわめて和やかでした。僕自身はIOCが出資してつくったオリンピックチャンネルからの依頼を受けて、現IOC会長のトーマス・バッハさんや陸上のマイケル・ジョンソン元選手にインタビューするという貴重な機会もいただきました。

 ただ、あの会場に立つと4年前にあの場所で「TOKYO 2020」という文字を見た瞬間のことが頭に浮かぶんです。今振り返ってもあれだけ感動した経験はありません。おかげであれ以来、たいていのことでは感動しなくなってしまいました (笑)。

大菅  僕も当時ニュースで見ていましたが、2020年の開催地が東京に決定した瞬間に太田さんが流した大粒の涙はとても印象的で、よく覚えています。

大寺 そうですよね。あれから4年がたった今、あらためて、当時IOC総会でスピーチしたときの感想や、そこに込められた想いなどをお聞かせいただけますか。

太田 僕は長い間、個人戦のスポーツをやっていました。子どもの頃から負けず嫌いでしたから、勝っても負けても自分一人で完結できるスポーツのほうが向いていると思っていたのです。ところが、ロンドン2012オリンピックでの団体戦の経験で意識が変わりました。メダルを獲ったとき、「共有するってすごいな」と感じたんです。4人で獲ったメダルは感動が4分の1になるんじゃなくて4倍、いや16倍にもなる。よく考えれば、ご飯だって一人よりみんなと食べる方がおいしいとの同じですよね。

 招致活動のお話をいただいたのはちょうどその頃でした。招致活動は、日本全国民との共同作業です。1億人と何かを共有するチャンスは人生のなかでめったにないと思い、お受けしました。もちろん1億人の代表としてプレゼンテーションをすることは、ものすごい緊張です。負けたら日本に帰れないという気持ちで挑みました。

大寺 招致が決まった瞬間の喜びの様子からも、気持ちが伝わってきましたよね。

太田 それは言葉にできないほどうれしかったですよ。

大菅 招致が決まった後のインタビューで、「若い選手たちに東京でのオリンピック開催という機会を与えられたことがうれしい」とおっしゃっていましたね。

太田 東京2020大会に僕自身が出られないことはわかっていましたので、招致活動は、下の世代に最高のオリンピックをつくることなんだ、それが自分の役目だと、初めから考えていました。去年引退して、今年8月からは日本フェンシング協会の会長に就任しましたが、会長として僕がやるべきことは、選手に最高のオリンピック・パラリンピックの機会を提供すること。それだけに集中しています。

フェンシング競技人口を増やすために

大寺 今もお話に出ましたが、今年8 月に日本フェンシング協会の会長に就任されて、いかがでしょうか。

太田 肩書きと素の自分のギャップに苦しんでいる毎日です(笑)。実は4年前から国際フェンシング連盟のアスリート委員長もやらせていただいているんです。一言でいえば全世界の選手会長ですね。ほとんどのメンバーが金メダリストのなかで銀メダリストの自分は肩身が狭かったのですが、選手の思いを理事会に伝える経験と、それがうまく通らない悔しさも味わいました。この4年間の経験があったからこそ、今回、日本フェンシング協会の会長をお引き受けしたのです。

大寺 国際フェンシング連盟で学んだことはどんなことがありましたか?

太田 日本と海外の選手の違いです。日本では1つの道に集中しなさいという慣習があるように思いますが、海外では、「人生は一度しかないのだから、2つのことができる人は2のことをした方がいい」と考える人も多いんです。実際、医師や弁護士の資格をもつ金メダリストが普通にいます。トーマス・バッハさんもフェンシングの金メダリストですが、弁護士でもあり、今は大企業の社外取締役をやりつつIOCの会長ですから。

 また、日本では自分の成功体験を下の世代にも真似してほしいと考えがちですが、海外では自分ができなかったから下の世代には頑張ってほしいし、そのために自分ができることをしましょう、という意識が強い。どちらが正解とはいえませんが、僕自身も選手時代にああしておけばよかったとか、こうだったらいいのにと感じたことがあるので、若い選手には仮に試合で結果が出なくても思ったことを行動に移してほしいと思っています。

大寺 日本フェンシング協会の会長としてどのような目標をもっているのですか?

太田 そうですね。協会としては、まずはフェンシングという競技を日本のなかでもっと浸透させていきたい、もっと身近な競技にしたいというのが一番の目標です。そのための手段として、選手たちには東京2020大会でぜひ成功してほしい。成功とは金メダルを取ることだけではなく、試合会場を観客で満員にすることも含まれます。

 加えて競技人口の拡大。現在は約6000人程度ですが、5万人に増やすことを目指しています。それは決してオリンピックを目指す人を5万人にしようということではなく、フェンシングを年齢や性別問わず、誰もがいつでも始められて楽しめるスポーツにするという意味です。

大菅 本当に熱心に活動されているのですね。フェンシングは体育の授業にもなかったので、あまり馴染みがないというのが正直なところなのですが……。フェンシング観戦の面白さを教えていただけませんか。

日本人がフェンシングに向いている理由

太田 スポーツには、”やるスポーツ”と”観るスポーツ”があると思っていて、フェンシングはまだ”やるスポーツ”なんです。観せ方が確立していないといった方がいいかな。僕自身もかつては観られるという意識はほとんどもっていませんでした。でも、2008年以降は照明を工夫するなどライブエンターテイメントを意識した演出にも取り組み始めました。見所としては、フェンシングは対人スポーツですから、選手同士のかけひきや、剣と剣が重なり合う音は迫力満点ですし、スピード感もすごいんです。あとはヨーロッパ発祥の伝統のスポーツに日本人が挑んでいる、というシチュエーションも魅力的でしょう(笑)。

大菅 そうですね。太田さんの活躍で、日本人でもこんなに強い選手がいるのか、と驚いた人は多かったと思います。

太田 僕自身は、日本人はフェンシングに向いていると思っています。子供の頃からチャンバラ遊びをしていますし、なんといっても宮本武蔵という大師匠をもつ国民ですから。剣道のトップ選手が入ってきてくれれば、オリンピックで活躍するチャンスは大きいと思いますよ。確かに手足が長い外人選手は有利ですが、努力と戦術でカバーできます。なにしろ身長171㎝の僕がやれたのがその証拠ではないでしょうか。

大菅 とても興味がわいてきました。やはり会場で観るべきですか?

太田 ”テレビで観る方がいい競技”と、”生で観る方が合っている競技”があるのですが、残念ながらフェンシングはまだどちらともいえない状態です。どういう風にして観ごたえのある競技にしていくかが課題でもあります。たとえば僕が一番好きなアメリカンフットボールなどはルールがよく知らなくても、あの巨漢の選手達がぶつかり合うシーンを見るだけで楽しめるじゃないですか。トップ選手とはルールを超えて楽しませることができる人だと僕は思っていて、そういう意味では、フェンシングは本当のトップ選手が登場していないのかもしれないし、そういった選手が出てくることを期待したいですね。

大菅 まずはルールを覚えてほしいといわれるのかと思ったら、まったく反対のことをいわれたので驚きました。

太田 現代人は忙しくてどんどん時間がなくなっていますから、そんなときにフェンシングはルールを覚えないと楽しめません、なんていったら誰にも見向きもしてもらえませんよ。まずはイケメン選手でもいいし、剣が格好いいでもいいので、観客を引きつけるフックを一つでも多くつくる。そこが勝負だと思っています。

「僕を引退に追い込んだ素晴らしい選手が大勢いる」

大寺 日本フェンシング協会として、フェンシングの認知度向上に向け具体的に始めたことはありますか?

太田 月に1回、試合以外で選手とファンがふれあえるイベントを開催しています。アマチュアスポーツは観客を楽しませることよりも、オリンピックで勝つことを優先してきた歴史があるのですが、仮にフェンシングがオリンピック競技でなくなったとしても生き残れるようにするべきで、それが結果としてオリンピックでも、ファンにも愛され続けると思うんです。

大寺 日本生命も、東京2020大会に向けてさまざまな活動をされていると聞きました。

大菅 はい、当社は東京2020オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナー(生命保険)として、CMやウェブサイトでの情報発信等をしています。また、全国約5万名の営業職員を含めて7万名の職員がいるのですが、各地でスポーツボランティアへの参加、パラリンピックスポーツの観戦を行っています。活動のスローガンとして『Play,Support.~さあ、支えることを始めよう。~』を掲げており、アスリートの皆さんはもちろん、その活躍を支えるスタッフやファンの方々とも一緒になって、東京2020大会を盛り上げていきたいと思っています。

 太田さんがおっしゃったファンづくりが大事という点はとても共感できます。当社では、競技・アスリートの魅力を伝えるためにスペシャルムービーを作成しているのですが、ファンを増やし、東京2020大会を一緒に盛り上げていくという役割において、太田さんと私たちは同じ想いをもっているのではないかな、と思います。

 

太田 日本フェンシング協会で、日本生命のお客様を対象にフェンシングの楽しみ方を伝えるイベントを開くといいかもしれませんね。

大菅 おもしろいですね。ぜひ持ち帰って担当部署と相談したいと思います(笑)。

大寺 いよいよ東京2020大会まで3年を切りました。招致が決定したときは7年先だと思っていましたが、残り半分を過ぎましたね。

太田 世間的には一時の興奮が落ち着いた感じはありますが、新国立競技場など目に見える形で準備が進めばますます盛り上がると思います。ただ、運営側としてはここからが勝負です。なにしろ時間の経過とともにできることは減っているので。たとえば選手強化もまったくゼロの選手を育てて3年後に東京2020オリンピックで金メダリストにするのは現実的に無理で、今活躍している上位選手の中から出場選手を決めていくしかない。まだ時間があるとは考えず、もう3年しかないと考えて、今できることを精一杯やるだけですね。

大寺 選手も追い込みに入っているのでしょうね。

太田 選手はつらいと思いますよ。ただ、僕を引退に追い込んだ素晴らしい選手達が大勢いるのでまったく心配はしていません。19、20歳の若手が国際大会の最高峰の試合でメダルを獲っています。僕の世代は出るだけで必死だった国際大会でメダルを獲ってくれる。スケールが全然違います。2020年もいい結果を出してくれると思いますから、ぜひ期待してください。

(後編へ続く)

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太田 雄貴(おおた ゆうき)

1985年生まれ。小学3年生からフェンシングを始め、小・中学共に全国大会を制覇。高校時代にはインターハイ3連覇を達成。アテネ2004オリンピックでは9位、北京2008オリンピックでは日本フェンシング史上初のオリンピックメダルである銀メダルを獲得。リオ2016オリンピック試合後に現役引退を表明。2017年8月、日本フェンシング協会会長に就任。2020年東京オリンピック招致活動にメンバーとして携わり、開催地が東京に決定した際に大粒の涙を流す姿が話題となった。