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選挙 都政

私が小池百合子という政治家に覚えた「戦慄」と「違和感」

ただひたすらに自分ファースト!?
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かなり奇妙な感じ

小池百合子は都知事に就任したおりに、後藤新平の名前を出していた。

かなり奇妙な感じがした。

「何か無理やり」という感じだった。

まあ、小池百合子は都知事に立候補して以来、常に違和感を漂わせながら、それを人に感じさせないよう努力を続けていて、それを横から見ると怖いのだけど、とにかく〝後藤新平〟は、奇妙な感じがした。

後藤新平は、大正年間に逓信大臣や内務大臣、外務大臣などを歴任していた。

政治家でもあるが、それ以前に「民政官」として活躍した優秀な植民地官僚でもある。

彼の真骨頂は、政治家よりも、やはり実務家のほうにあるだろう。台湾統治の民政長官であり、南満州鉄道の総裁であり、大臣を歴任したあと、東京市長であり、またすこーしだけ〝関東大震災直後の帝都復興院総裁〟にも就いていた(これは4ヵ月だけ。キャリアとしてあまり大きな部分を占めていない)。

もともと陸軍の児玉源太郎や桂太郎らの引き立てによって政治の世界に入っていったため、後藤新平は東北の出身ながら、政治世界では長州閥系統に属していた。議会に基盤を持たない超然としたグループである。(ただ長州の出身ではないために、明確な親分子分ではなかったようだが)

後藤は〝政党嫌い〟だったと言われている。

政党政治というのは、いまでもそうだが、政治本来の動きよりも雑音や瑣事に左右されることが多く、おそらく実務家として、仕事の進みにくいシステムを嫌っていたのだろう。ボスとその周辺だけで進めるほうが仕事はやりやすい。

後藤新平の〝大風呂敷〟

それでいて、後藤新平は〝大風呂敷〟と揶揄されていた。

話が壮大すぎるのである。

このあたりの人物としての味わいは、政治家らしいところだ。現に彼は国民に好かれていた。澎湃とした国民的人気の政治家と言われ、対立する政党人から強く警戒されていた。

後藤新平後藤新平〔PHOTO〕国立国会図書館

イケメンであり、残った写真を見る限り、かなりそれを意識していたとおもわれる。きりっとした顔で写っているものばかりである。当時から俳優のようだと、評判であった。国民的人気のある政治家というのは、大正の昔から見栄えが大事だったのだ。

後藤新平の〝大風呂敷〟は、いまでは「当時の東京市に不必要なほどの広大な道路を作ろうとしたこと」一点に落とし込まれているようだが(現代人がその恩恵を享受してと解釈してるからですね)、それだけではない。

この人は外務大臣であった時代(寺内正毅内閣)、シベリアへの出兵を決めている。日本軍事史上まれに見る愚行とされている「シベリア出兵」は、病いがちだった首相寺内正毅に代わり、事実上の臨時総理格にあった後藤新平の指導によっておこなわれたのである(彼の独断ではないのだが、もっとも強力な指導者ではあった)。

これもまた「後藤の大風呂敷」のひとつと言える。ヴォルシェビキ政権は脆弱であり、ロシア各地に残る健全派(穏健派)にテコ入れすれば、日本と敵対しない旧体制が維持できるはずという考えは、壮大であり、魅力的である。結果は、まれに見る失政だった。

後藤新平は台湾と南満州の植民地経営の官僚でもあったため、「日本膨張論」を唱えていた。

欧州大戦(第一次大戦)後の国際協調の空気のなかでも、あえてまだそう唱えていた。これまた後藤新平の大風呂敷であろう。この人の風呂敷は世界規模で広げられていたのである。

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