北朝鮮 公安警察 インテリジェンス

日本から姿を消した「北朝鮮工作員」が、騙した「妻」に贈った小包

私が出会った北朝鮮工作員たち 第3回
竹内 明 プロフィール

不審な「家族旅行」の中身

一方、「松田」としての朴と同棲していたA子は、内縁の夫の不審な行動に気づき始める。

「松田」は車の運転が好きで、よく家族旅行に出かけた。秋田県男鹿半島、大阪、奈良、京都、熱海、大島、能登半島……。

能登半島ではテントを張って、1週間ものキャンプ。子供たちを海岸線に立たせて、写真やビデオをやけに熱心に撮った。これが工作員の「浸透」(不法入国)や「復帰」(本国への帰還)に使われる砂浜であり、撮られた家族写真が、下見の写真として北朝鮮に送られることなど、妻子が知るよしもなかった。

 

実は、A子は「松田」が複数の名前を持っていることにも気づいていたという。「松田忠夫」「小熊和也」「小住健蔵」……。次々と異なる名前が男の周囲に浮かんでは消えた。それでも、A子は「松田」と結婚したかった。しかし、「松田」は頑として入籍を拒否、「信用してくれ、きっと君を幸せにする」と言い続けた。

やがて内縁の夫である「松田」は「会社を設立する」と言って、A子に金を無心する。A子は「松田」に尽くした。貯金を切り崩して、600万円を「松田」に渡したのだ。

昭和57年、「松田」は都内に装飾品販売会社を設立。自ら社長におさまったものの、仕事はA子と金に任せきりで、いつも売り上げだけを回収しては、どこかに持ち去っていた。

動き出した公安部外事二課、そしてCIA…

警視庁公安部外事二課、通称「ソトニ」に情報をもたらしたのは、韓国国家安全企画部だった。

「足立区西新井に在住する『小住健蔵』なる男は北朝鮮の工作員である」

外事二課が内偵捜査を始めると、奇妙な事実が浮上した。公安部に先行して、謎の男たちが調査に動いていたのだ。謎の男たちは、一見して日本人だった。だが、当時捜査に当たった捜査員は、こう断言する。

「あの男たちは、CIAだった」

自らも情報機関を持つ米韓両国は、日本当局が事実を知るはるか以前から、「小住健蔵」と名乗る男が北朝鮮工作員であることを割り出していたのだった。

包囲網はせばまっていた。だが昭和58年、「小住」は行方をくらます。「小住健蔵」名義の旅券でマレーシアに出国したのだ。2017年2月、金正恩労働党委員長の異母兄である金正男氏が暗殺された場所でもあるマレーシア・クアラルンプールは、北朝鮮工作機関のアジア最大の拠点だった。

外事二課は補助工作員だった金を逮捕。容疑は、公正証書原本不実記載だった。「会社の登記に嘘がある」という微罪である。判決は懲役1年、執行猶予4年。これがスパイ防止法を持たない、日本の限界だった。

この事件は通称「西新井事件」と呼ばれている。朴、あるいは「松田」と名乗っていた男に「背乗り」された、本物の小住健蔵さんは北朝鮮に拉致された可能性が高いと外事二課は見ている。しかし真相は分かっていない。

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