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ライフ 週刊現代 イギリス

カズオ・イシグロの親族が明かした「一雄くんのこと」

祖父は伊藤忠「伝説の商社マン」

一夜にしてその名は世界中に知れ渡った。長崎生まれの日系イギリス人作家は、どんな家に生まれ、どんな環境で育てられたのか。親戚や恩師の証言を元に、ノーベル賞作家のルーツを追った。

トヨタ家との縁

長崎駅から車で10分。長崎市内を走る路面電車の新中川町電停から入り組んだ細い路地を100mほど進むと、3階建ての洋風の屋敷がある。ここにカズオ・イシグロ氏(62歳)が5歳まで過ごした生家が、かつてあった。

この付近は長崎らしく、坂の途中に一軒家や集合住宅が密集して立ち並ぶ住宅街だ。往時は桜の名所として知られ、いまも料亭がいくつか残っている。

「明治、大正の時代は富裕層の別荘地でした。いまはだいぶ景観が変わったけど、その名残で大きな屋敷がポツポツと建っています」(近隣住民)

先ごろ、ノーベル文学賞を受賞したイシグロ氏は、日本人の両親のもと、1954年に長崎県で生まれた。家族で5歳のときに渡英し、'83年にイギリス国籍を取得する。自身は英語しか話せないが、受賞のインタビューでも「私の一部は日本人なのです」と語っている。

 

イシグロ氏はどんな家庭に育ったのか――。

日本名は石黒一雄。石黒家は代々由緒ある名家だったと語るのは、カズオ・イシグロ氏のいとこにあたる藤原新一さん(71歳)だ。

「私の母の弟の長男が一雄くんになります。一雄くんのお父さんには二人の姉がいて、2番目が私の母になります。

我々の祖父、昌明さんは滋賀県大津市の出身。戦前、中国に渡り、上海にあった東亜同文書院という高等教育機関を卒業しています。この学校は、ほぼ国策学校で授業料も無料。秀才が集まる学校で、各県から一人ほどしか入学できないほどレベルが高かったそうです。

卒業後、祖父は現地の伊藤忠商事に入社しました。仕事ぶりも優秀で、上海支店の支店長まで務めました。ところが、会社で労働争議が起きた責任をとって退社を余儀なくされたんです。そんな祖父を救ってくれたのが、創業者の伊藤忠兵衛さんでした。

祖父の働きを高く評価していた忠兵衛さんは直々に、豊田佐吉さんに頼み込んで、祖父は上海の豊田紡織廠(トヨタ紡織の前身)の取締役として迎えられたそうです」

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イシグロ氏の祖父が長崎に戻ってきたのは終戦の直前だった。なぜ帰国後、長崎を選んだのか、その経緯は不明だというが、ここでイシグロ氏は生まれ育った。

「一雄くんの家には、よく遊びに行かせてもらったので鮮明に覚えています。塀こそレンガ造りでしたが、純和風の邸宅で、武家屋敷のようでした。3階建てなんですが、中2階があってそこに一雄くんはよく居ました。

祖父はとにかく怖くて、怒られた記憶しかありません。日本に戻って来てからは仕事をしていなかったはずですが、生活ぶりは優雅でした。トヨタ関連の株の配当だけで生活していたんじゃないかな。

いまでもよく覚えているのは祖父の葬儀でのことです。伊藤忠兵衛さんから、読み終えるのに10分もかかる弔文が届いていました。祖父と忠兵衛さんは盟友だったみたいです。

祖父は豊田家との関係も深く、葬儀の際に使用した車は、すべて長崎のトヨタが提供していた。豊田家の方が長崎に来ると、石黒家が出迎えるという間柄でした。

うちの母が豊田章一郎さん(トヨタ自動車名誉会長)のことを『しょうちゃん』と呼んでいて驚いたことがあります」(藤原さん)

作品に活きた母の被爆体験

イシグロ氏の父である鎮雄氏もまた、ひとかどの人物だった。九州工業大学を卒業後、長崎海洋気象台に入り、海洋学者として活躍。1960年、イシグロ氏が5歳のときにイギリス政府から国立海洋学研究所に招致され、一家で渡英した。
藤原さんが続ける。

「『あびき現象』(長崎湾で発生する副振動)研究の第一人者でした。点字のタイプライターを製作し、エリザベス女王に拝謁したこともあるそうです。'94年には『日本語からはじめる科学・技術英文の書き方』という著書も出されている。

私にとってはやさしいおじさんという印象です。夏休みの宿題を手伝ってもらったり、天気予報の機械の作り方を教えてくれたこともあります。非常にインテリな方でした。

鎮雄さんは男前で日本人離れした顔立ちをしていました。目の色素が薄くて鼻も高く、一見、外国人に見えるほどでした。

一雄くんも純日本人っぽくない顔立ちですが、あれはお父さん譲りだと思います。一雄くんのお母さんである静子さんも美人でした。長崎市内で教師をされていたそうです。

お母さんは長崎で被爆されています。10年ほど前だったでしょうか、長崎在外の被爆手帳をもらうために来日されました。

一雄くんは処女作『遠い山なみの光』で原爆についても書いていますが、小さいころ、お母さんから戦争体験をよく聞かされていたようです」

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