格闘技

村田諒太が勝つためには「考えないこと」が必要なのかもしれない

「大丈夫、ぶっ飛ばしますよ」

今年5月のボクシング・WBAミドル級タイトルマッチ。ロンドン五輪金メダリストの村田諒太(31、帝拳)は、対戦相手のアッサン・エンダムを一度ダウンさせながらも、判定に泣いた。

10月22日、両者のダイレクトリマッチが行われるが、これまで何度も村田に話を聞いてきた東京新聞運動部の森合正範記者が、改めて村田の心境を探った。

言葉に知性があり、「闘う哲学者」とも呼ばれる村田諒太だが、森合記者は村田の話を聞きながら、「考えすぎることが、リング上では村田の足かせになっていたのかもしれない」と思うに至る。運命の時まであと一日。さて、村田はどんな闘いを見せてくれるのか――。

ニーバー、フランクル、養老孟司

その知識欲は一体どこから来るのか。いつも不思議に思っていたことを尋ねてみた。

「うーん。怖いんじゃないですか。ボクシングをしているだけでは…。このままじゃだめだ、それじゃあ生きていけないでしょと思ってしまう」

村田は少し考えてそう言うと、穏やかな笑みを浮かべた。

ある種、世間が抱く「ボクサー像」を変えたのではなかろうか。5月のエンダム戦。不可解な1―2判定負けに対する周囲の喧噪をよそに、不平不満を一切口にしなかった。「結果は結果。試合内容はボクサーではなく、第三者が判断すること」。潔すぎると思えるほどに受け入れる。

試合翌日にはホテルに滞在するエンダムを呼んで、健闘を称え合った。こんなジェントルな行動を誰ができようか。敗れてなお美しい。不穏な試合を村田の好感が包んでいった。

 

まだ再戦が発表される前の7月末。東京・神楽坂の帝拳ジム近くの喫茶店で私は村田と向き合っていた。あの試合で、村田諒太が持つボクサーとしての魅力、人間性が広く伝わったのではないか。そんな会話を交わしていた。村田は率直な思いを吐露した。

「あの試合は挫折というほど大きいものじゃないですけど、人生はひと筋縄ではいかないじゃないですか。そういう境遇になって、共感されたんじゃないかなと感じます。だから次が大事。次の試合が大切ですよね」

何か思い出したかのように、ふと、かばんを開けた。「だいぶ遅れているんですけど、いまこれを読んでいるんです」と1冊の本を取り出す。養老孟司の「バカの壁」だった。

「前に養老さんの『人生論』を読んで、『病気や何かを心配しているのは健康な時だ。起こるか分からないことを心配しても仕方ない』『生きているから死ぬのが怖いんだ』みたいなことが書いてあって面白いなと思ったんです。養老さんもフランクルのことを書いているんですよね」

時に神学者ニーバーの祈りや精神科医のフランクルの名前を出すなど「闘う哲学者」の一面を持つ。話題はボクシングの技術論から人生まで多岐にわたり、こちらの予想しない方向へと進む。村田が持つ言葉の魔力に引き込まれていく。至福の時間。楽しくもあり、だがしかし、怖くもある。

「フランクルが『人生に意味を求めてはいけない。人生からの問いかけに答えていくことが大切』と言っているじゃないですか」。そう問われても、こちらは「うん」とは頷けない。己の無知さを痛感し、聞き入るしかないからだ。

冒頭の言葉にもあるように、村田はよく「ボクサーなんていつ終わりが来るか分からない」と口にする。ロンドン五輪の金メダリストであっても、世界チャンピオンになろうとも、その後の人生の方がはるかに長い。あふれる知識欲と向上心は人生を豊かにするためのもの。

またすぐに「バカの壁」のページをめくり、「ほら、ここにフランクルのことを書いているでしょ。養老さんみたいな方も好きなんだよなあ…」となんだか嬉しそうに言った。

――本を読むことが一つのメンタルトレーニングになっていますよね。

「そう言わればそうですね。本は何回も読まないと頭に入らない。いろんな本を読むタイプなんですけど、本当は1冊を読み込んで、その考え方を理解したり、頭に入れた方が身になるんでしょうね」

――哲学書を読むようになったのはプロデビューの時からと話していました。それもリングに上がる「恐怖心」を克服するためでしたね。

「はい、ロンドン五輪の前はスポーツ心理学の本を読んでました。でも今はもっと根本的なところを吸収しようとしています。でも全然読めていないですよ。進まないです。『本を読む人は年収が高い』と言うじゃないですか。読書の割合と年収は比例すると。

僕は逆に年収が高い人は自由になる時間があるから本を読めるんじゃないかと思うんです。だって、汗水垂らして働いている人はそんなゆっくり読書している時間はないっすよ。オレなんて練習して疲れて寝ちゃうもん…、アハハ」

そう言って、豪快に笑う。話の中に緩急があるのが村田の魅力といえるだろう。