格闘技

「マウントパンチ」誕生の瞬間を語ろう~朝日昇インタビュー

最強さんいらっしゃい【第6回】

最強とはなにか。その言葉の意味を求めて、さまよい歩くわれら「最強探偵団」。
今回は、総合格闘技黎明期よりプロシューターとして活躍。強烈な個性を放ち、世界の強豪と対峙した朝日昇さんが登場。ヒクソン×高田戦から20年、さらにUWF回想ブームが来ている中、日本の総合格闘技の草分けの一人に、その足跡をたどってもらった。

1968年、横浜市生まれ。大学時代にスーパータイガージムに入門しシューティング(現・修斗)を始める。90年にプロデビュー。92年には坂本一弘を破りライト級王座を獲得。2度の王座防衛に成功。海外強豪選手からもことごとく勝利を収め「敵無し」「軽量級日本最強」の名を欲しいままにする。その余勢を駆って「打倒グレイシー」に名乗りを挙げ「VALE TUDO JAPAN '96」でホイラー・グレイシーと対戦するも、チョーク・スリーパーで一本負けを喫する。98年にはシュートボクシングとプロ修斗の合同興行「SHOOT THE SHOOTO XX」でブラジルのアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと対戦し、ギロチンチョークで一本負け。2001年には自身のジム「東京イエローマンズ」を発足。後進の育成にあたる一方、デザイナーとしても活躍中。2015年には、ハードコアバンドのオリンポス16闘神に「暴徒鎮圧担当」で加入するなど、その活動は多岐にわたる。

野球少年がなぜ格闘技の世界に…?

──突然なんですが、今年の初頭に『1984年のUWF』という本が出版され、各方面で話題を集めたんですが、朝日さんは読まれましたか?

朝日 いえ、読んでいません。その本については聞いたことはありますが、僕は格闘技の本は、ほとんど読まないんです。というか、変なことを言うようですけれど、格闘技をやっていたくせに、格闘技にあまり興味がないんです。痛そうだし(笑)。仕事という感覚で接しています、現役の頃からずっと変わらず。テレビで観戦するのも、もっぱら野球とサッカーですし。

だからよく知らないんですが、その本の存在は聞いたことはあります。しかし、UWFっていつの話だよって(笑)。今でもそうした本が刊行されるということは、佐山さんは色々な物を残されたんだなあと改めて思います。

──そこですよ。朝日さんはその佐山聡さんの弟子として、総合格闘技の黎明期から歩んでこられた方ですよね。

朝日 それも結果的にそうなったと言うだけで、僕自身は格闘技の選手になる気持ちなんて全くありませんでしたし、今でも不思議です(笑)。ただタイミング的にシューティングが、自分自身を証明する一つのものだっただけなんです。あくまで結果として。

──なるほど。その辺りをさぐるために朝日さんのここまでの道のりをさぐってみたいんですが、少年時代ってどんな子だったんでしょう?

朝日 スポーツは好きでしたが、ごく平凡なレベルのコでした。絵は得意だけど、基本的には単なる調子乗りで(笑)。人を笑かしてナンボだと考えていましたが、勉強は出来ました。テストは100点とか高得点が多かったように記憶しています。

おそらくクラスでトップだったと思いますし、学年でも僕が一番良かったかもしれないですね。負ける気はしなかったです(笑)。特に小学生の時は。中でも算数と国語が得意でした。しかし、勉強なんか大っ嫌いで、した覚えは殆どないです。

──それなのにすごい。

朝日 天才とか言われたりもしましたが(笑)、とにかくそれがイヤで、より勉強を嫌いになり……小さい頃は「勉強をしても単にアタマでっかちになるだけだし、それらは机上 の論理にしか過ぎない。現場に出て学ぶべきだ!」とかいっちょ前に思ってもいました(笑)。

──落合信彦みたいな小学生ですな(笑)

朝日 また 朝日家の一族はとてもカタい家系なんです。親戚には東大や慶応卒なんかがいて、霞ヶ関に行ったお兄ちゃんや、地球上のCO2削減のパリ協定の会議のニュースをたまたま読んでいたら、お姉ちゃんが何だかそこにいたりで、そんなんだから僕は「朝日家の三大変人の一人」と呼ばれてるんです(笑)。

授業態度は高校までバツをもらい続けましたが、僕の方がテストの成績はいいという最悪のガキんちょでした(笑)。しかし、世の中にはもっと凄い人が沢山いますから、このくらいはできて当たり前とも思っていました。

──なんとなくですが、そういう雰囲気はわかりますよ。

朝日 ただね、身体が弱かったんです。幼少の頃は心臓に穴が空いていたり、扁桃腺が弱くてアデノイドの手術で入院していたりしたので、小さい頃の僕を知っている人ならば、僕がプロの格闘技の選手になるなんて、あらゆる意味で驚く人が多いと思います。

──では子供のときはスポーツとかおやりになったんですか?

朝日 サッカーと野球をやりましたが、プロ野球選手になりたかったんです。いわゆる野球少年です。世代的にやっぱり巨人ファンになりますよね。父親が野球好きだったので、その影響もありました。親戚の関係でジャイアンツの柴田勲さんの家に連れて行ってもらい、柴田さんからお年玉をいただいた時はそのお札をずっと大事に取っておきました。本当に嬉しくて。

──ああ、いいですねえ。

朝日 僕の本名は「朝日慎一」と言うんですが、往年の強打者でセ・パ両リーグで首位打者になった江藤慎一さんから取っているんです。父親は長嶋茂雄さんの引退記念の同じ本を2冊持つような長嶋ファンだったはずなのに、何故中日の江藤慎一さんなのかよく分からないんですが(笑)。

──ぶははは。では、当然野球部で?

朝日 ハイ、高校までやりました。でも、プロ野球選手になる夢は小学生の時に諦めていて、野球を毎日見たいのでプロ野球のアナウンサーになるつもりだったんです。小学生の時にどうすればなれるか調べると、早稲田の政経と立教卒が多かったので、そちらに行って「アナウンサーになる」と親や親戚には言っていました。だから、小学校の卒業文集の将来の夢の欄には「アナウンサー」と書いてあります。

──それはそれで見てみたかった気もしますね。

朝日 とにかく野球は歴史もあり競技人口ハンパないですよね。そのトップ中のトップがプロに入る。特に神奈川は強豪校だらけ。Y校(横浜商)やヨタ校(横浜高)、相模(東海大相模)、桐蔭(桐蔭学園)などなど、まあ沢山あります。僕なんか港北高校という普通の県立高校なんです。一個下に女優の富田靖子がいるくらいで(笑)。それである日、ヨタ校に練習試合に行ったことがあったんですけど、行った瞬間オーラに圧倒されました(笑)。

──オーラに(笑)。

朝日 「もう帰ろう」みたいな(笑)。野球はそうした事が如実に感じられる世界だと思うんです。だから高校でも毎日練習はしていましたが、プロ野球選手を考えたことなんてありません。神奈川県大会1~2回戦負けが通常運転の高校の背番号14の補欠で、いつ試合に出られるかわからない人間なんですから、プロなんて言ってたら「アホか?」でおしまいです(笑)。

──朝日さんと同学年にはPL学園の桑田、清原の二人がいますね。

朝日 畏れ多くて何も言えません。ただ、その後格闘技の世界に入って思ったのが、運動神経や能力が低い人が多いなってことなんです。あまりに走るのが遅い人やボールを投げられない人、ボールを蹴れない人なんかがいてビックリしました(笑)。

──そうなんですか!

朝日 野球やサッカーのトップ選手は本当に凄いです。メジャーリーガーってのは神様かもしれない(笑)。やはり歴史や競技人口の差はいきなりはどうにもならないですよね。そう言う人材が格闘技に入ってきたら……例えば松井稼頭央っているでしょ。彼なんかヤバいですよね。大谷とか3年くらいやったら凄いことになるんでしょうね。

以前、ベイスターズの古木克明が総合に転向しましたよね。失敗だなんだ言われてますけど、たった1年でしょ?それであのレベル。「何だよ、それ!」って思いました(笑)。

──なるほど。では、そんな朝日さんがどういったいきさつで格闘技の門を叩いたんでしょう?

朝日 絵やデザインをやりたかったので、高校卒業時は美大に行こうかと考えもしました。が……となると、その先は美術的な方向しか無くなる可能性が強くなる。しかし、自分の人生、一体何ができるか未だ全く分からない。だったら、大学の4年間で自分の可能性を探そうと考え、ひとまず潰しのきく大学に行こうと思い六大学を受験しました。

──潰しのきく大学(笑)。

朝日 が、一緒に受験した中で僕だけ落ちたり(笑)、小さい頃から全く勉強しないくせに受験勉強もせず遊び呆けていたから当たり前なんですけど、志望した大学は見事に落ち、専修大に入りました。しかし、専修大の運動部なんてレベルは高くて、僕なんぞではついていけないと(笑)。

──専大っていうと、レスリング部がすぐ思い浮かびますけどね。長州力、馳浩、中西学、秋山準のラインですよ。

朝日 そんなもん入れませんよ(笑)。あれはスポーツエリートの世界です。もともと大学の4年間は自分の可能性を探ることを目的にしたので、とにかく何かをやってみようと考えまして、入学と同時に三軒茶屋のスーパータイガージムに入り、そこで佐山さんを初めて見ました。