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なぜパンダの故郷・四川では大地震が多発するのか

「生物地理学」の不思議シリーズ

M8.0を記録し約7万人の死者を出した、2008年5月の中国・四川大地震。その後10年間で、四川省では実に4回も大地震が発生。今年8月には、同省の景勝地として知られる九寨溝でもM7.0の地震が起きたばかりだ。

一方の日本ではパンダ人気が再燃しているが、これまで野生のパンダ生息地域で何度も調査を行なってきた青山氏は、 「珍しい生物の棲む地で大地震が多いことには、理由があるのではないか」と言う。

日本人の知らなかった、パンダの真実とは?

「襲われるかもしれないよ」

上野動物園で6月12日に生まれた、ジャイアントパンダの「香香(シャンシャン)」。生後4ヵ月を控えた10月10日の身体測定では、体重7.7kg、体長約70cmまで成長した姿を見せ、体色もすっかり大人のパンダと変わらない白黒の2トーンになっていました。年末に予定されている一般公開では、きっと見物客が殺到することでしょう。

確かにパンダは人気の高い動物です。しかし、彼らのことが一般にどれだけ正確に知られているかについては、疑問符がつくところもあります。例えばかつて、パンダはクマと全く異なる動物とされていましたが、近年ではDNA解析から、クマにきわめて近い動物であることが分かっています。

そのため、パンダもクマ同様に獰猛な姿を見せることがあります。筆者は中国で調査を行う際、野生のパンダが生息する地域に入ることも多いのですが、地元住民からはよく「夜に一人で山の中に行かないように。パンダに襲われるかもしれないから」と注意されます。

「ササ(四川省にはササ属の種は分布せず、別のタケ・ササ類)が大好物」というイメージも事実ではありますが、ひとり歩きし過ぎているような気もします。実際には、パンダも昆虫などの蛋白質を摂取しますし、一方でパンダ以外のクマもタケ・ササ類の若芽=タケノコが大好物です。

 

成都が東京なら、パンダの山は秩父

さて、野生のジャイアントパンダが、世界でも四川省を主とする中国内陸地にしか生息していないことは、皆さんもご存知のことと思います。

ひとくちに四川省と言っても、その面積は日本の1.5倍以上。長江が東西に横切り、省の東半分を占める広大な四川盆地の東端には、1997年に四川省から分割されて政府直轄市となった人口およそ3000万人の重慶市が、西端には省都で1500万人近い人口を擁する成都市があります。 

四川盆地の標高はおよそ200〜700mで、成都から西へ50kmほど進んでいくと山地に入ります。さらに西へ進めば、標高4000〜5000m級の、まるで壁のような高山地帯に突き当たります。そう、四川省はチベット高原の東端部でもあるのです。 

パンダたちの故郷は、極寒で乾燥したチベットの山岳地帯と温暖な四川盆地の狭間に横たわる、湿潤・緑豊かで急峻な山岳地帯です。意外に思われるかもしれませんが、四川省の緯度は日本の屋久島とほぼ同じ北緯30度。この一帯は、亜熱帯から亜寒帯の境界特有の豊かな植生が展開し、「グリーンベルト」とも称される世界有数の自然の宝庫です。

パンダ生息地に近い標高6250mのチベット四姑娘山(筆者撮影)

あくまで大ざっぱな例えではありますが、仮に成都を東京の位置に置いたとすると、距離感としては、チベット高原への北側の玄関口「都江堰」が八王子のあたり、南側の入り口「雅安」が小田原のあたりに位置することになります。パンダの棲息地は、おおむね奥秩父周辺の渓谷といったところでしょうか。

命がけだったパンダ研究の歴史

パンダが西欧世界に初めて認識されたのは、1869年のことでした。発見したのは、成都の西方およそ100km、西嶺雪山の西側を流れる宝興渓谷で布教活動を行っていた、カトリックのフランス人宣教師アルマン・ダヴィッド神父。ダヴィッド神父は、宝興での布教活動を続けながら、パンダのほかにも、そこに棲む数多くの生物をヨーロッパに紹介しています。中国の自然を研究する学者で、彼の名を知らぬ人はいないというほどの有名人です。

実際、中国の生物には種小名に”davidis”や”davidii”と付いている種が数多く、これらはいずれも多くの研究者が憧れる幻の希産種です。植物にも四川省原産のDavidia(ダヴィディア、通称ハンカチーフツリー)という種があります。

19世紀後半のヨーロッパでは、アジア各地の新種生物探索が一大ブームとなっていました。金持ちのコレクターがパトロンとなり研究者を育て、研究者はさらに専門のプラントハンターやインセクトハンターを未開の奥地に派遣しました。さしずめ19世紀版の「珍獣ハンター」とでもいいましょうか。

当時のヨーロッパ人にとって、中国奥地は文字通り未踏の地です。いくら大金を積まれても、進んで出かける物好きはごく少数だったことでしょう。