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サッカー

日本人選手を苦しめる「外国人枠」という海外サッカーの規定

安永聡太郎Vol.11

もう日本に戻るしかない…

このシリーズの1回目に書いた、安永聡太郎にとって2度目のスペイン移籍――ガリシア州フェロールでの生活は半年で終わることになった。

安永はこの街のクラブ、ラシン・デ・フェロールで、フォワードの一角として12試合に出場、1得点を挙げていた。得点数だけ見ると物足りない数字ではあるが、前線を献身的に動き回る彼は、監督、地元メディアから高い評価を受けていた。

安永を阻んだのは、外国人枠だった。

「半年終わった時点で、クラブからは“契約を延長しましょう”という話をもらっていた。やったーと思っていたら、ごっついセンターフォワードが結構な複雑骨折をした。それでそのシーズンが駄目になった」

フェロールは4-4-2というシステムを採用していた。前線の2人のうち、1人はポストプレーの得意な選手を置き、サイドからボールを集めるという、スペインリーグ2部によくある戦術だった。その中で大型のセンターフォワードは必須だった。

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「スペイン人の中にでかい選手がいないから、外国人でそういう選手を獲りたいという話になった」

さらに――。

「(イケチュク・)ウチェという18歳の選手がいた。ぼくが加入するとき、ウチェを外して(外国人枠として)入っていた。それでウチェは半年間試合に出られなかった。代理人がぶつぶつ言い始めたらしくて、外国人枠を1つ使わなくてはならなかった」

 

ウチェは将来有望な、ナイジェリア人フォワードだった。後にスペインリーグのビジャレアルで広く名前を知られ、ナイジェリア代表としてもアフリカネイションズカップに出場している。

そこでEU国籍を持たない安永は外国人枠から押し出されることになったのだ。

「他のクラブに移籍しようとしても、冬のマーケットでは5試合以上出ている選手は同じカテゴリーに移籍できないという規定があった。1部に引っ張られるか、カテゴリーを落とすか。どちらも無理だから、(日本に)戻るしかないねと。ぼくとしては残りたかった。リェイダのときよりも友だちがいっぱいできていたし、飯も旨かった」

あの街、楽しかったんですよと、噛みしめるように言った。