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人口・少子高齢化 ライフ

「人に迷惑をかけるな」という言葉は「呪い」を孕んでいる

性別の隙間から見た世界【9】

男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について描いていきます。今回は「人に迷惑をかけないこと」について大いに語ります。

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真綿で首を絞める

私は、呪われていた。

いや、今も尚、呪われている。

もしもこの話がディズニー映画ならば、呪いをかけるのは悪意のある醜い魔女で、呪いがかかるのは貧しくとも優しく、善良に生きる美しい娘。そして、物語は絶望の直前で、人間性、金銭的、そして見た目にも満たされた王子様が呪いを解いてくれるといった流れになるのだろうけれど、残念なことに現実はもう少し複雑に出来ている。
善悪と美醜に繋がりはなく、同様に金銭的な貧富も人間性とは連動していない。それどころか、善悪を隔てる境界線すら物事を捉える視点によって異なってくる。

結果、救う方も救われる方も、望んだ通りの相手に巡り合える可能性は、極めて低い。

 

さて、子どもの頃に憧れ、観れば今でも心が休まるお話は、やはり夢物語なのだろうか? さほど善良でもなく、決して美しいわけでもなく、ましてや若くもない人々を呪いから救うヒーローは、どこにもいないのだろうか?

なんてことを想いながら、私を捕まえて離さない「呪い」について考えてみる。

正確には、「私たち」に骨の髄までかけられた「呪い」について考えてみようと思う。

「迷惑をかけずに生きる」

それは、物心も付かないほど幼いころから始まっていた。

時に胸に抱かれながら、時に大きな手に包まれながら、大好きな親が繰り返し耳元で囁く呪文。未だまっさらな状態の子どもに、まるで最初の心を与えるかのように、その「教え」は施されていた。

冷静になって考える程に、これこそ当人に選択肢のない「刷り込み」ではないか? と疑いたくもなるが、相手が見事に正義の仮面を被っているものだから、なかなか反論する隙も見当たらない。

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ずっと「正しさ」と同義語として扱われてきたのは、

『迷惑をかけずに生きる』

当の親自身も、自分の親から受け継いできた言葉だった。

事ある毎に繰り返されてきたこの言葉は、人にとって「最低限の約束」のようなものだった。

自分の命よりも大切な存在があることを教えてくれた、生まれたばかりの子どもの眠る顔を前に「人に迷惑をかけずに、立派な人になって欲しい」と親は祈る。

いつしか自らの意志で行動し、夢を語るようになった子どもに対しては、理解は及ばず困惑しながらも「人に迷惑をかけさえしなければ、好きなように生きていい」と諦めにも似た許しを与えた。

子どもが育って大人になり、夢が破れようとも、現実に負けようとも、社会の一員となった時には、「人に迷惑をかけずに生きている」と意識することを誇りや慰めとして過ごす。

いつの日か自覚よりも早いスピードで迫る老いに引きずられるようになったころには、「子どもや孫に迷惑をかけずに死にたい」と切実に願う。

人生のあらゆる局面において姿かたちを変えながら登場する『人に迷惑をかけない』という想い。

果たしてこの正体はどこにあるのだろうか?