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教師の人権が軽すぎる…博多高校「暴力動画事件」で露呈したこと

昔に比べると可愛いもの、なのか
原田 隆之 プロフィール

人権を守る教育

このような現状だからこそ、あらためて人権の意味を問い、行き過ぎや歪みを防止するために、今後人権をめぐる教育がますます重要になってくる。

人権を守るための教育は、何も自分の権利だけを声高に叫ぶように教えることではない。

先に人権は「互恵性」のうえに成り立っていると述べた。元来は「強い側」であった教師の人権が軽んじられ、その権威までもが貶められるようになることは、望ましいことではない。

再びピンカーを引けば、彼は「人間の本性は、私たちを暴力へと促す動機――たとえば捕食、支配、復讐――をもちあわせているが、適切な環境さえ整っていれば、私たちを平和へと促す動機――たとえば哀れみ、公正感、自制、理性――ももちあわせている」と述べている。

つまり、後者が発揮できるような「適切な環境」を整え、共感性、正義、自制力、理性などを養うことが、地道ではあるが、自分だけでなく他者の人権も尊重し、暴力や不正を防ぐ唯一の道となるのだろう。

 

昨年、学校教育法施行規則および学習指導要領が改訂され、小学校では2018年度、中学校では2019年度から「道徳」が教科化される。

それについては、道徳的価値観について国が統制を強めるものだとの批判があるほか、道徳を身につけたかどうか「評価」することの問題点などが指摘されている。

たしかに、かつての「修身」の復活を思い起させるような嫌なイメージはぬぐえない。

しかし、人類に共通の普遍的価値というものもあるはずである。それが、人権であり、自由や平等であり、暴力の禁止であって、それらの基盤となる共感性や自制などを育てるための契機としても捉えられるだろう。

それに加えて、教育現場では、子どもだけでなく、教師の人権を守る具体的な手立てを講じる必要がある。これは制度面の問題である。

人権の秤がどちらかに傾きすぎることは、危険な予兆である。