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教師の人権が軽すぎる…博多高校「暴力動画事件」で露呈したこと

昔に比べると可愛いもの、なのか
原田 隆之 プロフィール

教師の人権について

ところで、今回の事件でもう1つ気になったことは、教師の人権についてである。

教育の場において、暴力の禁止、体罰の禁止ということが厳しく掲げられるようになって久しい。これは、子どもと大人、生徒と教師という圧倒的に力の差のある場面において、弱い立場の児童、生徒を守るうえできわめて重要なことである。先に述べたような長年にわたる努力の帰結の1つである。

少し前、ジャズ奏者の日野皓正が、子どもたちによるコンサート場面で、奏者の1人であった中学生に暴力を振るったとされる「事件」があった。その際、私は暴力についての擁護的な論調があまりに多いことに愕然とし、体罰の禁止をあらためて問いかけた(参照「不倫には厳しいのに、暴力は許す『この国の大人の恥ずべき感覚』」)。

そこでは、いくらそれが「愛のムチ」であっても、「ささいな暴力」であっても、絶対に許してはならないものであることを述べた。それは、子どもの人権の侵害であり、われわれ社会が勝ち取った尊い価値への冒涜だからである。

しかし、今回の事件は、本来なら弱い立場である生徒が、強い立場の教師に暴力を振るったというものである。被害に遭ったのは、大学を出たばかりの若い教師であったが、彼のなかには、体罰禁止、暴力反対の価値観が深く根づいていたのであろう。

どれだけ蹴られても、胸ぐらを掴まれても、決して手をあげることをせず、そして相手に阿ることもせず、毅然とした態度で叱責をして、その場を切り抜けていた。これは本当に賞賛すべきことである。

とはいえ、教師とて人間である。どんなに悔しかっただろう、腹が立ったであろうと思う。大勢の生徒の前で、あからさまに自分の身体が冒涜され、人権が踏みにじられたのであるから、その心中は察して余りある。

 

ここで思うのは、校長の「お詫び」にも表れているように、学校現場で教師の人権が軽んじられすぎてはいないだろうか。

子どもの人権が大事であれば、それと同様に教師の人権も大事である。教師たるもの、暴力を振るわれたり、侮辱されたりすることを甘受し、モンスターペアレントや過重労働に苦しめられ、それでも耐えるしかないのだろうか。

たしかに一時に比べると「荒れる学校」は激減した。今回の事件を受けて「昔に比べると可愛いものだ」という的外れな意見も見られた。

しかし、だからと言って、子どもの側の人権にばかり秤が傾きすぎて、一方の教師の人権が軽んじられるようなことがあってはならない。その帰結として、親や子どもが教師を軽く見てしまうようなことが、こうした事件を生む背景にはなかっただろうか。

誤解のないように繰り返し述べるが、圧倒的に力の弱い子どもの側の人権を重視することは、最重要事項である。

しかし、それがときに行き過ぎてしまうこともある。たとえば、暴力的だからドッジボールを禁止しようとか、子どもの安全のために外遊びを禁止しようとか、もはやパロディとしか思えないような馬鹿げた帰結を生むことがある。

教師が生徒を叱責すれば「ハラスメント」だと言われ、正当で教育的な叱責や指導もできないような状況すらある。これらは、益を求めるあまり、かえって害をもたらしかねない例である。