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「日本は負けたけど勝った」――現実を見ない「自称保守」の淵源

ネット右翼十五年史(4)

1990年代末の日本を席巻し、のちの「ネット右翼」の誕生を導くことになった小林よしのり氏の『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』。その思想的な拠り所が、保守の論客・渡部昇一氏の『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』にあることが、前回の考察で明らかになった。その続きとなる今回は、いまなお決まり文句のように語られる「慰安婦問題免罪論」、そして「大東亜戦争肯定論」の淵源を両書から探る。

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「直接やってない」から免罪?

日本の朝鮮支配に関する渡部史観のトンデモは、1990年代後半に話題沸騰となっていた、前述のいわゆる河野談話、村山談話にも向けられることになる。

無辜の朝鮮人女性が、経済苦から慰安婦に転落していった事実を、渡部は同書の中で、

慰安婦は日本軍が直接集めたものではない(中略)たしかにコリア人で『軍』慰安婦になった人はいたであろう。しかし、その人たちを集めたのは、日本軍ではない。それをやったのは、おそらくコリア人の売春斡旋業者なのである」(『かくて昭和史は甦る』P. 187、原文ママ)

として、つまり「慰安婦を直接集めたのは日本軍ではないのだから問題はない」という論法を提起しているのである。だがそもそも、渡部の言う「コリア人」というのがお門違いで、1910年の日韓併合より1945年の敗戦に至るまで、朝鮮半島の人々は大日本帝国の臣民である。

 

ちなみにこの本で渡部は、一貫して中国大陸の人々を「シナ人」と呼称し、冒頭の付記でも「中国という語は、東夷・西戎・北狄・南蛮といった蔑称に対する概念として用いられる美称であり、日本においては拒否されるべき」(P. 6)と記している。

「『中国』と呼称すると中華思想(中華=中国を頂点とした主従関係)を認めることになるから、中国ではなくシナ(支那)と呼称するほうが正しいのだ」というこの理屈は、現在のネット右翼の間でも「シナ人が~」の呼称が一般的なように、極めて普遍的にみられる倒錯した用法である。既にこの時点で、のちのネット右翼につながる無根拠なヘイト的世界観の片鱗が存分に伺えるのである。

18〜19世紀に西欧世界で行われた奴隷貿易も、アフリカ沿岸や内陸において奴隷狩りに直接手を下したのは、スペイン・ポルトガル、オランダやイギリス政府ではなく、そのような西欧列強に協調的な現地部族というケースが多かった。

「直接手を下さなかったのだから免罪」という上記のトンデモ論法を認めるならば、西欧列強の奴隷貿易も免罪となって然るべきであろう。もっとも仮にそうなれば、前回も触れた「有色人種たる日本人は正義、白色人種は不正義で悪辣」という渡部史観の主張そのものとも明らかに相矛盾する。

渡部昇一史観の概要(筆者作成)

売春を管理する胴元が日本軍である限り、慰安婦の募集においては「日本軍における広義の強制」が成立する。確かに、「済州島で無辜の婦女子を日本軍のトラックに詰めて強制連行した」という、千葉県の吉田清治なる詭弁家の「証言」は、報じた朝日新聞もそれを嘘と認めて撤回するにいたった。しかし忘れてはならないのは、朝日新聞も「広義の強制性」までは撤回しなかったという事実である。

当たり前のことだが、慰安婦の「最終消費者」が日本兵である限り、朝鮮人慰安婦の問題は1965年の日韓基本条約で解決済みだとしても、日本は一端の道義的責任を負わないわけにはいかない。だからこそ、これまで安倍政権下でも各種様々な元慰安婦救済措置が講じられてきたのだ(朴槿恵政権との日韓合意など)。

一方の渡部史観では、「直接手引きをしたのが朝鮮の業者なのだから、慰安婦問題で日本は免罪」となる。後に勃興するネット右翼も、見事なまでにこの論法を用いる。が、直接・間接の強制は慰安婦問題の核心ではない。慰安婦の最終消費者が、管理された下での日本軍将兵だった(=管理売春)ことが問題なのである。

この事実関係は、実際に南方に従軍し、慰安所を「P(ピー)屋」と呼称してその実態を克明に漫画化している水木しげるの戦記物作品に詳述されているから、これに優る証言はない。戦時中、空襲の少ない山形で少年時代を過ごしていた渡部と、南方奥地、メラネシアのニューブリテン島で英軍の猛爆撃に遭い、左腕をもぎ取られた水木の言の、どちらを信用すべきかは言うまでもなかろう。

「大東亜の解放」は実現したのか

渡部史観と小林の『戦争論』がとりわけ明白な重複を見せるのは、日米戦争と日中戦争、南京事件に関する記述である。

まず渡部史観では、日本の真珠湾奇襲攻撃を「自存自衛のための戦争(ABCD包囲網の結果)」であるとして、日本の戦争大義を正当化している。小林の『戦争論』でも、この「自衛戦争論」が目立つ。

そしてこの「自衛戦争論」は、戦時中の日本の大義「大東亜共栄圏」「八紘一宇」を正当化し、「日本は人種平等の旗印のもと白人世界に挑戦を挑んだ」という渡部史観の(1)と、「日本は軍事的には敗北したが、先に挙げた日本の戦争大義――つまりアジアの解放が、アジア各国が戦後次々と独立することによって達成された」という渡部史観の(9)「負けたけど勝ったんだ論」に接続されていく。

この「負けたけど勝ったんだ論」をさらに詳述すると以下のようなものだ。

戦時中、「大東亜戦争」の大義の下、日本軍は東南アジアの資源地帯に進出した。日本が戦争に敗れた後も、東南アジア諸国では「宗主国である米英蘭仏が、日本軍によって一度は打倒された」という記憶があったため、独立戦争が促され、結果的に戦後の東南アジア独立を日本が助けることになった。

つまり、日本は戦争に負けたが、所期の戦争目的である大東亜の解放は、日本の敗戦によって達成された。だから、戦争目的の大義は正しいものであり、結果的に日本は戦争に勝ったも同然である――。