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パンダが教えてくれる中国外交「次の一手」

シャンシャンは一帯一路の秘密兵器…?
家永 真幸 プロフィール

台湾の支援国には「禁パンダ」の時代も

1950〜60年代にかけ、中華人民共和国はソ連および北朝鮮にパンダを贈った。

実はこの間、アメリカおよび日本からも、民間レベルで中国に対してパンダ誘致の働きかけがあった。しかし、東西冷戦という国際環境の下、台湾の中華民国とのあいだで「唯一の合法中国政府」の地位をめぐる外交闘争を続けていた中華人民共和国政府は、中華民国との国交を維持する米日両国からの申し出に応じることはなかった。

この北京による「パンダ外交」と対をなすかのような外交戦術が、同時期の台湾でも見られた。それは、「故宮外交」とでも呼ぶべきものである。国民党は台湾に撤退する際、北京の「故宮博物院」の収蔵品を中心とする文化財を大量に持ち込んだ。彼らはそれらをアメリカおよび日本に出展する計画を立て、実際、1961年にはアメリカ展を実現させた。

国民党がこの事業に込めた期待は、一つには相手国社会からの同情を獲得することであった。しかし、それ以上に彼らが重視したのは、出展品が「中華民国」という国家の財産であるという趣旨の声明を、相手国政府から引き出すことだった。日本出展が実現しなかった原因は、まさにこの点に求められる。

これら「国宝」と称揚されるシンボルを利用してくり広げられた政治・外交闘争については、拙著『国宝の政治史 「中国」の故宮とパンダ』(東京大学出版会、2017年)をご参照いただければ幸いである。

 

ワシントン条約後は「レンタル」に

ここまで説明してきたように、分断国家問題に結びつけられていたからこそ、72年の米中和解、それに続く日中国交正常化に際し、パンダは米日両国に贈られ、友好を効果的に演出する役割を担った。さらにこのころを境に、パンダは1980年代初頭にかけ、イギリス、フランス、メキシコ、スペイン、西ドイツと、堰を切ったように西側諸国へと贈られた。

そして80年代に入り、パンダ外交は再び転機を迎える。野生動植物の保全を趣旨とする「ワシントン条約」の規定により、パンダは国際商取引が原則禁止される種に指定された。そのため、中国政府は84年以降、パンダを外国に「贈呈」することができなくなったのである。

ところが国際社会では、アメリカや日本を中心に、依然としてパンダは人気を集め続けていた。その結果、世界各地の動物園やイベントが、中国にレンタル料を支払ってパンダの「巡業」を誘致するという事態が発生した。

この本末転倒な状況を是正すべく、90年代に編み出されたのが、「繁殖のための貸与」としてパンダを中国国外に送り出す仕組みだった。これは、原産地から遠く離れた土地で動物を長期間かけて飼育・研究するのであれば、種の保存のために意義がある、という当時の生物学上の見地に基づいたものであった。

上野動物園のパンダ上野動物園のパンダ(参考、メキシコ生まれのシュアンシュアン)photo by gettyimages

この方式において、借り受ける国は中国に対し、パンダ保護のための支援金として年間100万米ドル程度支払うことが慣行化した。シャンシャンの両親であるシンシンとリーリーが2011年に上野動物園に来た際も、この方式がとられた。

当時の日本メディアでは、「レンタル料が高すぎる」と中国を批判する論調が目立った。しかし、料金を支払ってでもパンダをほしがる国があるからこそ、中国は相手を見て徴収している、という事実から目を逸らすべきではないだろう。レンタル料の支払いは、先のワシントン条約によって義務づけられているわけではないのだ。