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パンダが教えてくれる中国外交「次の一手」

シャンシャンは一帯一路の秘密兵器…?
パンダブームの再来に世間が沸いている。赤ちゃんパンダがとにかくかわいい、というのがブームの理由なのは言うまでもないが、これほどの影響力を持つマスコットを、独占保有する中国が放っておくだろうか。中国がこれまで「国宝」としてのパンダをどう扱ってきたか、また、そこから見えてくる「いま中国は何を考えているのか」を、東京医科歯科大学教養部の家永真幸准教授が分析する。

外交の重要局面でパンダを送り出す

先日「シャンシャン(香香)」と命名された東京・上野動物園のパンダが、12月にいよいよ公開される見込みである。

このパンダが生まれたのは、今年6月12日だった。菅官房長官が記者会見で誕生を歓迎するコメントを発すると、中国外交部の陸慷報道官も即日、これを祝福する好意的なコメントを寄せた。

陸報道官はさらに、シャンシャンの命名が発表された9月25日にも、「パンダは中国の国宝であり、中国と多くの国の人々とのあいだの重要な友好の使者である。私たちはパンダが引き続きそのような作用をうまく発揮してくれることを望んでいる」と発言した。

今年は日中国交正常化45周年。日中両国の政府間関係および国民感情の改善はいまだ道半ばだが、シャンシャンの誕生は、図らずもこの節目に花を添えたと言えよう。

実は、中国はこれまで、外交の重要局面で相手国にパンダを送り出す、いわゆる「パンダ外交」をたびたび展開してきた。ただ、その相手国や目的、手法は、何度か大きな転換を遂げてきている。本稿では、その変遷をふり返りつつ、近年のパンダ外交から中国外交のどのような特徴や方針が見えてくるのか検討してみたい。

 

抗日戦争を有利にするため、アメリカに「贈呈」

パンダは中国を代表する動物である、という見方は、いまや世界中の多くの人々のあいだで共有されているだろう。その地位は、先述の陸報道官の言葉にもあるとおり、ときに「国宝」とも称される。

ただ、パンダに国家を代表させようというアイデアは、実はそれほど長い歴史をもたない。1930年代末から40年代初頭に初めて歴史の表舞台に登場したと考えられる。ここで、その経緯を簡単にふり返ってみたい。

アメリカ初のパンダ1936年、アメリカに初めて持ち込まれたパンダ「スーリン」 photo by gettyimages

1936年、アメリカの探検家が生きた赤ちゃんパンダをシカゴに連れ帰るのに成功した。このパンダはアメリカ社会で大変な人気を博し、動物園は来場者であふれ、関連商品も多く作られた。パンダブームの原型とも言うべきこの騒ぎを経て、この動物は一躍「愛玩すべき動物」として米英社会を中心に広く認知された。

当時の中国を統治していたのは、中国国民党の蔣介石を指導者とする中華民国政府である。彼らは、それまでパンダに特別な価値を見出してこなかった。しかし、欧米人による捕獲熱の高まりを受け、1930年代末にはこの動物の禁猟・禁輸に踏み切る。それにともない、パンダは自由に捕獲して諸外国に持ち去ることのできない動物となった。

そのようななか、1941年11月、中国国民党からアメリカに突如パンダが贈呈された。

これは、抗日戦争を有利に進めるための国際宣伝戦術の一環として、アメリカの親中メディアの協力も得た上で、綿密な計画を立てて実施されたものであった。国民党はパンダを「平和の象徴」に仕立てることで、アメリカ社会から「正義の同情」を引き出そうとしたのである。これが今日まで続く中国「パンダ外交」の嚆矢となった。

その後も、世界にはパンダの受け入れを熱望する動物園がいくつもあった。しかし、国民党が中国共産党との内戦に敗れたため、中華民国政府は1949年に台湾に移転してしまう。

このとき、国民党はパンダを台湾に持ち込まなかった。そのため、パンダに国家を代表させ、友好の使者として他国に送り出す外交活動は、共産党が率いる現在の中華人民共和国政府に引き継がれることになったのである。