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近現代史 哲学・思想

デモクラシーの起源とは、戦士と労働力を動員する物語だった?

あなたを駆動する「物語」について③

『東京プリズン』の作家・赤坂真理さんが、文学者として日本の近現代史を読み直し、いまを生きる私たちの「盲点」を鋭くつく連載第3回。今回は「デモクラシー」という言葉の起源にさかのぼり、私たちが「民主主義」という言葉から想起するイメージといかに深い溝があるかを明かします!

〔→第1回「民主"主義"という訳語が生んでしまった、日本人の決定的な勘違い」はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52922

 

デモクラシーは主義でも理想でもない

democracyという言葉が、今さらながらに気になったのは、日本における「民主主義」的なものの、「自由民権運動」の次のあらわれ、「大正デモクラシー」が、外来語をそのまま使っているのに、引っかかりをおぼえたからだ。

「自由民権運動」には、権利「民権」を獲得したいという生々しい欲求が感じられた。それが目指したもののひとつが、「普通参政権」だった。人が、納税額の多寡にかかわらず平等の一票を持てるしくみ。

だが、その目標が曲がりなりにも成し遂げられ、25歳以上の男子すべてに参政権が与えられた大正時代に、しかし、デモクラシーは訳語のない外来語に戻っている。

大正時代には、デモクラシーの内実に、日本人は訳語を持てなかった。それで外来語の音をそのままにする。

その次にデモクラシー的な概念が日本史に現れるのは、敗戦後の「民主主義」となる。

「民主主義」はデモクラシーの訳としては誤訳であると思う、という意見は、前々回に書いた(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52922)。

デモクラシーは、方法であって、主義でも理想でもないからだ。

「民主主義」という日本語は「民主制」に対しての、ある「気分」や「願い」「こうあってほしいという気持ち」が反映されたものとわたしは考えている。

それは実は、願いであって、democracyとは関係ない、というのがわたしの考えである。democracyは統治方法のひとつである。それだけである。

日本人が「民主主義を守れ!」などというとき(たとえば時の政権の強引なやり方に抗議して「民主主義の原則に立ち戻れ!」などというとき)、それは「平和」や「人道主義」と混同されているようにおもう。

democracyは、人道とも平和とも非戦とも、とりあえずはなんの関係もない。

むしろ、ことのはじめから軍事と密接な関係があった。

こういうことを言ったからといって、わたしは戦争に賛同するわけではない。民主制という方法の落とし穴を知らなければ、民主制に利用されるだけだと思うから、こう言っている。