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国家が家族に介入って…「家庭教育支援法案」が描く恐怖の未来図

安倍首相も小池都知事も推進派だけど
大前 治 プロフィール

どのような家庭教育支援を行うのか

こうした体制でどのような家庭教育を支援するのか。法案は次のように定めている。

*家庭教育支援法案――家庭教育の意義
・家族の人数減少、共に過ごす時間の減少により家庭教育支援が緊要となった(第1条)
・国は保護者に「子育ての意義」を理解させ、「子育てに伴う喜び」を実感させる(第2条)。
・保護者は子に「社会との関わり」を自覚させること(第2条)

抽象的な規定だが、だからこそ文科大臣がフリーハンドで意味内容を充填できる。

ここでいう「子育ての意義」とは何なのか。国がその答えを用意して、上意下達で保護者に「理解させる」べきなのか。また、国家が決める「社会との関わり方」を子どもに「自覚させる」のは価値観の押し付けではないか。

このほか、自民党の2016年10月時点の法律素案には「家族は社会の基礎的な集団である」、「国家及び社会の形成者の資質」を備えさせるのが家庭教育であるとも書かれていた。ここに法律制定の狙いがみえる。

国家の末端機関としての家庭づくり、国と社会に役立つ人材育成が指向され、国が定義する「子育ての意義」を植え付けたいのではないか。

その反面、自由に子育てをする権利、生き方や教育方法を自ら選べる権利、良好な教育環境を求める権利は、この法案に一切書かれていない。日本国憲法26条は「教育を受ける権利」を保障しているが、この法案は義務しか定めていないのである。

 

この法律が作り出す社会像

いま本当に求められているのは、全国で4万7千人を超える保育園待機児童の解消、「ワンオペ育児」に苦しむ親へのサポート、相談できる窓口や施設の整備などである。「学習させる」とか「意義を感じさせる」という精神的キャンペーンが必要なのではない。

法案が問題視する「家族の人数減少、共に過ごす時間の減少」は、雇用と所得の向上、住宅政策、長時間労働の抑制などで改善すべきである。国家が解決するべき社会問題を放置しながら、家庭教育の義務と責任だけ国民に押し付けるのは本末転倒である。

一番怖いのは、「国が家庭へ土足で踏み込むのは当然」という空気の醸成である。国民は、子として教育を受ける場面でも、親として子育てをする場面でも、つねに国の方針に誘導される。これは、生き方そのものへの国家介入ではないだろうか。

子どもが学校で問題を起こしたら「責任を果たしていない親」と扱われる。自己責任よりも怖い、国家への責任を果たせという重圧が地域社会を覆う。家庭教育キャンペーンの名のもとに家庭が監視される未来図が浮かびあがる。